vol.5 何を求めているのか?(課題とは?)
- 2019年08月01日
- 所長の学び
僕は、イロハニトイロという場所が、ありのままの自分を認められる場所、安心できる場所でありたいと思っています。
そこから、本当の自分の人生を取り戻してほしい。
本当の苦労を取り戻して欲しい。
たった一度の自分の人生、自分らしく幸福に生きて欲しい。
そのための勇気と覚悟をイロハニトイロで育てて欲しい。
そんな風に思っています。
思いというよりも“願い”なのかもしれません。
でも、とっても悩むんです。
何を悩むのかというと、今話したことって言葉にするととっても綺麗で温かくてかっこよくうつるんですけど実際はとっても厳しいことだったりするからなんです。
どうしてかって?
それは、このことが「本当の自分」に向き合う作業だからなんです。
自分は何を感じて、何に怯えていて、本当は何をしたいのか。
自分自身に向き合わされるということでもあるんです。
また同時に生きる責任も自分で背負ってもらうってことでもあるんです。
だからこれって実はとっても苦しいことなんです。
だからそれに耐えきれなくなって、イロハに来られなくなったり、辞めたいという方もいらっしゃいます。
それでも僕たちは代わりに責任を背負ったりはしないんです。
その人の人生を支配しないし、とことん自分で自分の人生を作っていくことを見守り続けるんです。
自分の苦しみの原因を、病気や他人や環境のせいにして嘆く時間も僕は大切だと思っています。
でも結局は自分がどうするしかないんです。
来られなくなっても辞めたくなっても、また自分の足で選択をして来られるようになることを、僕らは信じて待ち続けるんです。
もちろんもっと自分に合った別の良い場所に行けるのならそれはとっても嬉しいことです。
ちょっと話が分からなくなってきたかもしれませんね。。。
では、どうして自分に向き合う事になるのか、責任を背負うことになるのかについて、説明させていただきます。
僕たちは、外では人の目を気にして、人から良く見られたくて、嘘の自分を演じながら生きています。
いや、
そうやって生きてしまう人が多い、という方が正確でしょう。
そしてそれが社会性だと信じ込んでいます。
人に迷惑を掛けないことが社会性だと思い込んでいます。
人に期待されること、そしてその期待に応えることが幸せだと思っています。
でもそれってありのままの自分じゃないですよね?
よく見られるために演じる嘘の自分ですよね?
上手くいっている間はいい。
でも上手くいかなくなると「こんな自分はダメなんだ」と自分を責め苦しくなってしまいます。
そんな風に社会の中で他人の価値観にそって、嘘の自分を演じながら、本当の自分を否定しながら生きているんです。
自分で自分を否定して傷ついている。
それが本当の苦しみの原因だと僕は考えています。
社会の中でそういった傷を負った方たちが、再出発する場所がイロハニトイロです。
だからありのままの自分が出せて認められる場所じゃないといけないんです!
頑張って成功しないと認められないような場所じゃダメなんです!
ここでいう、ありのままの自分というのは、よく見られるために演じる嘘の自分ではなくて、ダメな自分も含めた本当の自分なんです。
そんな自分をあなたは出すことが出来ますか?
人に見せることができますか?
人に迷惑をかける自分
出来ない自分
失敗する自分
情けない自分
弱い自分
卑怯な自分
怠ける自分
意地悪な自分
妬む自分
不真面目な自分
死にたいと思う自分病気の自分
・
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・
こんな自分を人に見せられますか?
親や先生や社会から否定され続けてきたこんな自分を見せることができますか?
こんな自分に向き合い許すことができますか?
これってとっても勇気がいることだと思います。
もちろん、「ダメな部分は隠して周囲に認められるために頑張っている自分、それがありのままの自分です。」という方もいらっしゃいます。
そういう生き方を選択するのも自由です。
でも大抵そういう人ほど、陰で不満が爆発してしまいます。
自分だけ頑張っている気がして、周りが敵ばかりに思えてきたりします。
だからイロハニトイロが嫌になってくる、そんな方もいらっしゃるかもしれません。
もちろんそういう生き方(嘘の自分を演じて必死に頑張る生き方)をしてもイイんです。
自分の人生、我慢を重ねながら、「しなければならない」で生きて、他者と競争しながら生きていってもいいんです。
むしろそういう方が多いのかもしれません。
でも違う生き方だって実はあるんです。
そっちでもイイんです。
親や社会から否定されたダメな自分も大切な自分として受け入れて、ありのままの姿でやりたいことをして生きていく、そんな生き方をしてもいいんです。
何度も言いますが、それって自分が否定している自分に向き合うことでもあるからとってもしんどいんです。
でも、でも、でも、
ここにちゃんと向き合えた時、きっと気付けるはずです。
自分のことを否定しているのは自分じゃなくて、
本当は、親や社会の一部の考えだったことに。
本当は自分は悪くなかった、価値ある存在だった、大切にしていい存在だった。
そんなことに気付けるんです!
でもやっぱり怖いんです。
僕も本当の自分に向き合い、ありのままを見つめ、自分を許すことはとっても怖かったです。
自分が無価値で孤独な人間になっていくような気がして。
どんどん堕落して不必要な人間になるような気がして(結果は絶対にそうなりません!)。
だから、本当にこれは苦しくて大変な作業だと思うわけです。
「あ~~~、イロハニトイロってとっても厳しことしているな」って思うんです。
あともう一つ“責任”の話も付け加えておきます。
イロハニトイロでは自己選択を大切にしています。
自分で「助けて」と言えることを大切にしています。
だから当然、一日遊んでいても、横になっていてもいいんです。
でもその結果生じる出来事も自分で背負いましょうね、って姿勢なんです。
仕事しなかったら工賃がないのは当然ですよね。
でもその選択をしたことは否定しないし認められるのがイロハニトイロです。
イロハニトイロってとっても自由なところなんですけど、裏を返せば自分の行動は自分で決めてねってことだし、
もっと言うなれば自分の人生の責任を本人に背負わせるってことなんです。
そう考えるとめちぇめちゃ冷たい場所の様にも感じてしまいますよね。
(冷たいんじゃなく涼しいと思ってもらえればいいな)
もちろん、今後の人生も自分で選択できるってことでもあり、
自己選択の力を付けようってことでもあります。
ありのままを認められる、安心できる場所
という言葉の裏にはこんな厳しさがあるわけです。
でもこれって本当の苦労だと思いませんか。
自分の人生を自分が主人公になって自分らしく生きるって、本当の生きる苦労だと思いませんか。
でもそれって、勇気と覚悟がいります。
“やってみる勇気”
と
“傷つく覚悟”
です!
やはり僕らがすべき支援とは、
「○○さん(支援者)のお陰で自立できました」と言わせないことだと思います。
自分の人生を自分で創っていっている感覚が持てることだと思うんです。
僕の願いが強すぎるのかなぁ。
こんなイロハの考えが本当に正しいのか、いろんな出来事がある度に悩むわけです。
本当に合っているのだろうか?
単に利用者さんを苦しめているだけじゃないだろうか?
まだまだ悩み続けると思います。
そして先日、ある本を読んでいて、こんな文章を見つけました。
ああ、僕が利用者さんに求めていることってきっとこういうことなんだと思いました。
きっとこの課題を乗り越えていって欲しいと僕はきっと願っているんだろうなと思ったわけです。
同時に僕自身の克服すべき課題でもあるなぁ、なんて思ったりもして。。。
参考に以下に載せておきます。
「愛着アプローチ ~医学モデルを超える新しい回復法~(岡田尊司 著)」より
①振り返りの力を高めて、自分や相手を客観的に見られるようになる。
②自分を律する力を高めて、気持ちや行動が過剰反応しない冷静さを身に付ける。
③理想的な状態やこうあるべきだという基準や期待にとらわれすぎず、ありのままの相手やありのままの自分を肯定的に受け入れる心の柔軟性を手に入れる。
④愛着関係で自分の身に起きたことを整理し、自分なりの理解や納得を得ることで、未解決だった心の傷やそれによるとらわれから、少しずつ自由になる。
⑤自分のことは自分で決め、自分で行動する力を身に付ける。