vol.46-③【勘違い】頑張るのをやめる(延長戦)
- 2023年09月11日
- 所長の学び
「前編」「後編」に続き「延長戦」に入らせていただきます。
頑張るには2種類あって、
自分を否定しながら必死に頑張ることをやめて
今の自分を認めたうえで自分の理想に向かって夢中になって頑張る
それを大切にしましょう!
ってお話でした。
いかがですか?
このお話聞いてなんかむず痒くないですか?
なんかモヤモヤしませんか?
なんか心が抵抗しませんか?
そうなんです!
こうやって二つの頑張りを比較して分かりやすく話そうとすると、
「必死の頑張り」が良くないことで
「夢中の頑張り」が良いことのように語られてしまうんです。
だから、
「好きなこと、やりたいことをする方がいいんだよね」
「今何もしたくないから、その気持ちを大切にして何もしないでおこう」
「気持ちをラク~~に生きられる方がいいことだよね」
になっていきます。
ここに勘違いを生む原因があるようです。
このブログを読んでくださっている多く方は、おそらく「必死に頑張ってきた」経験があるはずです。
いかがですか?
必死に頑張っていた自分は“嫌い”でしたか?
なんか充実感が得られたり、以前の自分からの成長を感じられたり、良い部分もたくさんあったのではないでしょうか?
前回、例えに出したメジャーリーガーの大谷翔平やイチローもきっと必死になって頑張っている時もあったと思います。
大谷翔平が以前ケガから復帰するとき、
「このケガを治してもう一度試合に出たい」と必死にリハビリを頑張ったのではないでしょうか。
そして現在も怪我を抱えながら必死に頑張っているかもしれません。
となるとですね。
“必死に頑張る”ことが悪いんじゃないんです。
“必死に頑張らないといけない”と思って頑張ることが「必ず死ぬ」に繋がっていくんです。
分かりますか?
ちょっと分かりづらいですかね。
つまりですね、
私が「頑張りたいから頑張る」ということなんです。
「頑張らないといけないから頑張る」ということじゃないということです。
(ここでも「自分軸」か「他人軸」かが出てきていますね)
今、私はこの資格を取るために大好きなゲームを我慢して頑張りたいから必死になって頑張る。
私はダイエットしてあの服が着れるようになりたいから、大好きなチョコレートを必死に我慢することを頑張っている。
必死に頑張りたいから頑張る
必死に頑張らないとだめだから頑張るんじゃない
つまりですね。
私たちは待っていて求めているだけでは何も変わらないんです。
「頑張り」が人を成長させ、そんな頑張った自分を愛おしく思えるようになる。
それが自分には能力があると感じられる有能感につながりさらなる行動のエネルギーを作っていくんです。
やっぱりその事実があると僕は思うんですよね。
やっぱり頑張っている自分て好きですよー!
人間の本能として良くなろうとする「優越性の追求」という欲求があることも関係している気がします。
(生物の進化を促している遺伝子レベルの話ですね)
それをイロハで育んでいくために、
まずは病気になるまで「必死に頑張るべき」で頑張ってきたこれまでの自分をまずは捨てましょう、
お礼を言ってさよならしましょう、ってことなんです。
そのことをイロハでの体験を通して理解できていくと、多くメンバーが自ら頑張り始めるんです。
あ、自分がやるしかないんだな。
すべて自分次第なんだな。
と。
いやー、このテーマでもっと話したいですが、これくらいで置いておきますね。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
次回は、「好きなことをしていい」で生まれる勘違いについて「前編」「後編」に分けてお話させていただければと思います。
イロハニトイロ所長
金村栄治