vol.4 自立とは何なんだ?

僕は4人の子どもを育てる親でもあります。
子育ての最終目標って、愛する我が子たちの自立だと思うんです。
いつか親の元を巣立って、自分で自分の人生を生きていけるようになること。
それが子育てだと思っています。
なんとなく、自立ってそういうことなのではないか。
自分で生活ができるようになれば、それは自立と呼べるのではないか。
というように「自立」というものにあまり具体性を持っていないかったのです。
お恥ずかしい。。。
就労支援においても、最終的な目標は自立なんじゃないのか。
それは、イロハニトイロを利用しなくなっても、自分の生活を送れるようになること。
もっと言うなら、お金を稼げるようになること。
そんな短絡的な考えを持っていたのも事実です。
でもこれって当然の考えなのかもしれません。
自立についてちゃんと考えたことも教わったことも僕たちはないんです。
自立の授業なんて学校でありました?
僕の記憶にはないです笑
自分の生活を送れるようになることが自立なんだとしたら、みんな生活できてるじゃん。
生活保護をもらっていても、引きこもっていても、自傷行為をしていても、
自分の生活を送ることができてるじゃん。
いや、違う気がする。
じゃあ、お金を稼げるようになること。
お金を稼げれば自立していると言えるの?
それはどこまでの範囲?生活保護を受けていなかったら?
仕事をしていても、人と上手くやれず苦しんでいる人いるよ。
苦しくて病気になる人いるよ。
うん。
やっぱり、なんか違う気がする。
なんだ、なんだ、この意味の分からない「自立」という言葉は!
自立って何なんだーーー?
自立について真剣に考えてみよう、悩んでみよう。
イロハニトイロを利用している人に何を目標にしているのか、つまり自立とは何なのかが明確に説明できないなんて、そんなのはおかしい。
支援者としての責任を果たしていない。
まあとにかく、お金を稼げて一人で生活できることが「自立」ではないことだけは、なんとなく分かる。
僕の中で自立を探す旅が始まったのです。
それは本を通していろんな哲学者さん、心理学者さん、人類学者さん、精神科医さん、お坊さん、作家さんなど多くの考えに触れさせていただく旅でした。
もちろん一番の深い学びを与えてくれたのは病気を持った当事者の方たちとの対話です。
たとえ生活できるだけの十分なお金を持っていても、この方たちの苦しみは無くならない。
この方たちが本当に自立できたと感じられるのはいったいどういった事だろう???
きっとその答えの先に就労支援の意味があると思うのです。
そして僕が学んだこと。
それは人類、つまりホモ・サピエンスの起源にまで遡ります。
どうして僕たちホモ・サピエンスはこんなにも地球上に反映することができたのか。
どうしてホモ・サピエンスより大きくて強いネアンデルタール人は滅びてしまったのか。
それは!
それは!!
それは!!!
ホモサピエンスが弱い存在だったからなんだそうです!
一人では生きられない弱い存在だった。
一人ならすぐに死んでしまうか弱い存在だった。
だから私たちホモサピエンスは、群れを作ることを編み出したのです。
そして分業という画期的な発明をしました。
分業とは、それぞれが得意なことをして補い合うということです。
そしてこの集団(社会)に貢献するということです。
そこに喜びを覚え、その集団の中で自分の生が助けられている。
それこそが脈々と受け継がれてきた人間の生きる姿だったのです!!!
弱さが僕らを強くさせた、なんてすごくシビれませんか?
弱さを認めて人は強くなったんです!
つまり、自立とは、
お金を稼ぐことでもないし、自分で何でもできるようになることでもない。
強くなることでもないし、逆に極端に弱くなることでもない。
このありのままの自分を受け入れ、社会の中で自分の役割を見つけること。
それが本当の意味での自立だと知りました。
精神障害の当事者の方々の苦しみ、
家に引きこもって社会とのつながりを絶っている方々の苦しみ、
働いて生活はできているけど、いつも自分に自信が持てず楽しくない毎日を過ごしている方々の苦しみ、
頑張って、頑張って、頑張っているのに、周囲から認められないと感じている人の苦しみ
それら全て、本当の自立ができていない事から起こる苦しみだったんだと知りました。
僕は所長として、利用者さんにイロハニトイロで目指す自立とは何かを明確に提示するようにしています。
もちろん押し付けるわけではなく、自立が何なのか、何を目指せばいいのかが分からなくなった方に以下の二つの事をお伝えするようにしています。
一
自立とは、このありのままの自分を許し、愛することができるようになること(自愛)
二
自立とは他者に「助けて」と言えるようになること(他力を使う)
一 は、ダメなところもある自分を含めたこのありのままの自分を許し、大切にすることができる。だから自分のやりたいことに向かって前進していけるのです。
僕らの苦しみは全て自己否定にあります。それを自己肯定に変えようという事です。
二 は、他力を大切にしようということです。僕たちは他者に傷付けられるけど、傷を癒してくれるのも他者です。集団の中で傷つくけど、楽しみや生きる喜びも集団の中にあります。
自力で何とかしようとして上手くいかず、傷つくのではなく、できないことは人に助けてもらう、出来ることがあるなら人を助ける。
そんな相互の関係で居場所となる集団は出来上がっていきます。
そして何よりも、他力の力はとっても大きな力になるのです。
いかがでしょうか?
きっとお金を稼ぐことよりもずっとずっと難しいことのように思うかもしれませんね。
そっかぁ。自立って本当はとっても難しいことなんだ。
と僕は知りました。
でも、ここで一筋の光が!!
ちょっと待てよ!
一 も ニ も自分の姿勢次第じゃん!
自分がするかどうかの話じゃん!!
傷つく覚悟が持てるかどうかの話じゃん!!
結局勇気が持てるかどうかの話!!!
あーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
分かったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
就労支援て、就労のノウハウを教えるところじゃない。
きっとこの、自分を変える勇気を育てる場所なんだ!!!
そして働くということで集団への貢献を感じられる場所。
つまりそれが自立の訓練の場所ということなんだ!!!
それじゃあ、どうやったら勇気が育つのか?
それは安心しかないんじゃないでしょうか。
どんな自分でも受け入れられる、信頼される、そんな安心できる場所からしか勇気は育たないんじゃじゃないでしょうか。
じゃあ、安心できる場所。安全基地とは具体的にどういうところ?
本当に僕は、利用者さんに安心を与えられてるの?
ここは現在進行形で日々模索中です!
いつかまた、答えを見つけた時に!!