イロハニトイロ

vol.13 支援者が苦しめている?

今年最後に、僕の大きなターニングポイントとなった出来事をお話ししたいと思います。

大変お恥ずかしい内容なのですが。。。



僕は13年間、作業療法士として精神科の病院で勤めてきました。

作業療法を知らない方に少し説明をしますと、

精神科の病院の中には「作業療法室」というのがありまして、入院中の方が社会復帰のためのリハビリとして、様々な活動をしに来るんです。

裁縫や革細工などの創作活動、料理、ゲーム、運動、散歩、レク、SST(社会生活技能訓練)、CBT(認知療法)などなど。

もちろん、病棟では休めないから作業療法室で休むという方もいらっしゃいます。

休むのも作業の一つです。

つまり、簡単に言うと作業(生活全ての活動)を通してリハビリをするというのが、作業療法です。


当然リハビリですから、いつも患者さんが良くなることだけを考え、その為には何ができるのかを日々考え実行してるわけです。


そんな中で10年以上もやっていますと、それなりの経験を積み、知識や技術も増え、後輩を指導し、作業療法の在り方みたいなのを自分の中で持ち始めます。

その考えが正しいと思い込むまでになっていきます。



そして、今の会社の代表に誘われ、訪問看護
(※「訪問作業療法」として診療報酬はなく、訪問看護として作業療法士が入るということに今はなっています。)
を始めたわけです。



訪問看護のスタッフの中で作業療法士はこの僕ただ一人。

看護師さんにはない作業活動についてのプロの知識と経験が僕にはある。

僕が必要とされているのは、看護師さんにはできないこと。

僕の知識と経験をフルに活かして、訪問看護利用者さんの生活を良くしてあげよう!



そんな考えを持つのも当然です!



目標を設定し、段階づけして目標までのステップアップと具体的な方法を提案し、一緒に練習しながら少しずつ生活を改善させていく。

もちろん、それは利用者さん自身が発する意思が中心です。

利用者さんの希望に沿って、僕にできることをやっていこうと思っていたわけです。



そしてどうなったか。


生活は良くなっていったのか?

いえ

生活や病状は良くなるどころか悪化していきました。

暴言、無視、活動の拒否、訪問自体を拒否する人が増えてきたのです。


どうして?
とその理由が本当に分からなかったのです。


訪問看護の中で、多くの利用者さんと様々なドラマがあるのですが、
今回は僕の人生を変えるきっかけとなった一人の利用者さんをピックアップしてお伝えしたいと思います。



その方をAさんとします。
個人情報保護の観点から少し背景は変えさせていただいています。


Aさんは、これまで仕事をバリバリとやられていた方です。
世界中を飛び回り、自社製品の販売をされてきました。

しかし会社を辞め、離婚もし、母親の自宅で二人で暮らしていました。

 
訪問開始当初の印象は、
少し口調が強く、上から目線の所もあるけど優しく接してくださり、
初対面の僕にも現在の苦しみを話してくださり、
自分の事をどうにかしようと真剣に悩まれている真面目な方なんだ、というものでした。

作業療法士であるこの僕に、「どうにかしてほしい。助けて欲しい。」と話されたのです。

Aさん
「どうすればいいのか分からない。主治医の先生からもなにも言われない。会議を開いて一緒にどうしたらいいのか考えて欲しい。そうすれば、自分もやって行けそうな気がする」

という言葉から、関連機関に連絡を取りご自宅で主治医も交えてカンファレンスを開かせていただきました。


その日はとっても感謝されましたが、
その後、本人がすると約束していたことをしようとせず引きこもってしまいました。

別の日には、
Aさん「2階が物であふれている。生活できるように処分を手伝って欲しい」

という希望から、僕はリサイクル業者に電話して手配をしたり、家の不用品を運んだりと長い時間を取って片づけを行いました。

Aさんは指示を出すだけで、ほとんど僕が動いていました。

そしてその後、自分での片付けは続かず、一旦片付いた場所も再び物で溢れるようになりました。

また別の日、
Aさん「過去の事ばかりが気になる。どうすれば自分が元気になるのか分からない。どうにかしてほしい」

という言葉から認知療法をすることとなり、本氏の考えをまとめる作業を始めました。
現在の考えをまとめて自分で分析し、他の考えに気付いてもらおうとしたわけです。

そして
「この病気で回復した人の記事を持ってきて」と言われると、次の訪問の時にはそれらを準備しました。そんな風にAさんの要望に応えて資料を準備するので、ファイルいっぱいになるまで資料が溜まりました。


さらにはAさんが
「運動がしたい」と言うと、体操や散歩を一緒に行いました。



こうやって、Aさん本人が希望することをずっとやってきたのです。


そしてどうなったか。

生活は良くなったのか?

病状は良くなったのか?


少しずつAさんの僕への態度が変わってきたのです。


どんな風に変わってきたのか?


それは…


訪問に行っても不在であることが増えました
電話をすると「いま散髪で出てますわ」とだけ。
謝罪もないんです。

ちなみにAさんの家だけ遠くにあり渋滞にもあいやすく、片道1時間ほどかかります。


また
「今日はしんどいから帰ってくれ」と中に入れてもらえなかったり、
自宅にいるにもかかわらず、呼び鈴にも応じず、声を掛けても返答すらない日もありました。

訪問できても
「最近はいかがですか?」と僕が尋ねると

「そんなの言って何か解決するん?あんたが何かしてくれるん?!」と言われ、黙って30分過ごすなんて日も。


しまいには、体温や血圧を測ろうとすると

「これ何のためにしてるか分かってんのか?!何も分からんとやってるんやろ?」などと何かにつけて突っかかってくるようになりました。


「Aさんの為、Aさんの為」と
ずっと我慢し続けてきましたが、僕の中でAさんに対する怒りが溜まっていったのです。


Aさんがして欲しいと望むことを僕はしているのに、なんでこんな仕打ちをうけなければならないんだ!


訪問することもだんだん億劫になっていたのです。

 


そして、ある訪問の日、その他罰的で人を見下した横柄な態度に僕はキレてしまったのです!



金村
「僕はもうここには来ません!そんなに気分が悪いなら僕が来る必要ないでしょう?!もう結構です」

Aさん
「そういうことじゃないだろ?!」

金村
「いえいえ、結構です。他の人に変わってもらいます。いままでお世話になりました。さようなら。」


僕は、そのまま帰ってしまったのです。


今思えば、「あちゃーー!」って感じです。


その帰りの車内で、ムカムカとAさんに対する怒りがある一方で、「本当にこれでいいの?」という罪悪感もありました。

きっとその罪悪感を消すために、所長に連絡をして、その出来事を報告をしたわけです。

もちろんAさんにムカついているわけですから、僕の口からはAさんへの批判と自分への正当性の言葉しか出てきません。


そして一通り話し終わるのを、所長は黙って話を聞いてくれた上で、

「金村君は悪くないよ。担当変わってもいいからね。頑張ってくれてありがとうね。」と言ってくれたのです。

ただそれだけ。
僕への批判や指導は一切なし。


この言葉を聞いた時に、大きな罪悪感が僕を襲ってきたのです!

当然ですよね。

自分ではうすうす分かっているわけです。
間違ったことをしているって。

でも自分を守るために、一生懸命正当化していたわけですから。


この所長の言葉で、僕は自分に向き合えたんです!




あれ?僕は何をしているんだ?

「あなたの為に」と言いながら、今の状況は全く「あなたの為」になんてなっていないじゃないか!

こんなの全部「自分の為」じゃないか!

結局今まで全部「自分の為」にやってきたことなの?

「利用者さんを幸せにしたい」はずなのに、僕が苦しめている?

利用者さんの苦しみの原因は、この僕?


Aさん以外の利用者さんらとも上手くいっていなかった時期です。

そして、所長との電話の後、すぐにAさんの自宅へまた1時間かけて戻りました。

Aさんはすぐに中に入れてくれました。

金村
「先程はすみませんでした」

と何も言い訳をせず、僕は素直に謝ったのです。



そしてAさんの言葉は、、、


「金村君、ちょっと喫茶店に行こうか?」

でした。



何も言わずに近くの喫茶店に連れて行ってくれたのです。

Aさん「ここは昔よく来ていた喫茶店で、最近はあまり来ててなくてね。」


再度、僕が謝罪すると

Aさん「金村君ね。僕らは金村君のその正しさが苦しいんだよ。」

と教えてくれたのです。


??????
??????
??????


?です。


つまり、こういうことなんです。



どうすればいいか、何をすればいいのか、自分だって実は分かっている。

でもそれがうまく出来ない自分を 自分が責めている。

何でもっとできないんだ。なんでそうしないんだ。だからお前はダメなんだ、って。

それで苦しんでいるのに、支援者がさらに正しさを押し付けてくる。

正しいことを言われれば言われるほど、一生懸命に変えようとされればされるほど、そうできていない自分が惨めに思えてくるんだそうです。


ただこの苦しさを分かって欲しい。
ただ、この思いを知って欲しい。
こんな自分でもいいと認めて欲しい。


それだけなのに。


Aさんから、今まで苦しめて申し訳なかったと言われ、
「やっぱり今は何もできないくらいに体がしんどくて苦しい。また何かできる気力が湧いてきたら金村君に助けてもらうわ。」と金村の訪問は終了になりました。

とても穏やかな口調で訪問の終了を言って下さったのです。


この経験から、自分が利用者さんを苦しめていることを僕は初めて知りました。

今利用者さん達と上手くいっていないのは、全て自分が原因であったと知りました。


「あなたを助けたい」
という思いの裏には
相手を弱者として見下している自分がいる


「あなたを良くしたい」
という思いの裏には
現在のその人を否定する自分がいる


「あなたの役に立ちたい」
という思いの裏には
自分の自尊心を満たすために利用者さんを利用している自分がいる



僕が「あなたの為」と一生懸命してきた支援は、

それが与えていたものは

「あなたはダメで弱い障害者」だという相手を否定するメッセージだったのです。


僕は次の日から、訪問に行かせていただいていた利用者さん全員に謝罪をしました。

するとどんどん本音が出てきたんです。

「実は苦しかった」って。


僕は、何も利用者さんの本当の声が聞けていなかったのです。

一方通行の関わりしかしていなかったんですよね。



この事実を受け止めること、受け入れることはとても勇気がいることです。

しかし、いつも「金村君のままでいいよ」「それでいいよ」とありのままを受け入れてくれるこの会社があったから、僕は受け止めることができました。

だから僕は変われた。


この経験を僕は忘れません。

そして本当の支援とは、会社の先輩方が僕にして下さったようなことを、利用者さんにもすることなのではないかと考えています。


目の前の現在のその人をありのままに認め、信頼するという事です。


僕の考えが変わり、行動が変わり、関わり方が変わり、

その後に起こった奇跡のような出来事の数々を本当はお伝えしたいのですが、またいつかお話しできればと思います。


以上が僕の人生を変えた大きな経験になります。


ちなみにAさんはもうこの世にいません。


お亡くなりになられたことを後になって知りました。



もっと僕にできたことがあったのでは?

僕が最初から今のような考えや視点を持てていたらこの方は今どうなっていたのだろう?

そんなことを考えてしまいます。





長い長い内容を最後まで読んで頂きありがとうございました。

また来年もダメでドジで情けない所長をやっていきたいと思います。

そして今後も日々の学びを書き綴っていきたいと思います。


少し早いですが、皆様良いお年をお迎えくください。

来年もイロハニトイロをどうぞよろしくお願いします。

                     イロハニトイロ所長 金村栄治