vol.27 「絶望」って大切?
- 2021年02月02日
- 所長の学び
こんにちは。
イロハニトイロで所長をしています。金村です。
前回に引き続き、
金村の「聞いて聞いて」です。
「この本読んでこんなこと知ったよ。」
「こんな経験してこんなこと学んだよ。」
などなど、ただ金村が嬉しくて聞いて欲しいことを前回に引き続き書かせていただきます。
前回は、みんなが思っている「自信」は、本当の自信じゃないよ。
自分を信じられなくて、他人の評価を信じている。
つまり「自信」じゃなくて「他信」だよ。
「自信」を付けようとして、一生懸命「他信」を付けていたなんて滑稽ですね。
というお話を聞いていただきました。
今回も、精神科医・泉谷閑示さんの著書で書かれていた「絶望」について聞いて頂きたいんです。
とても分かりやすくて納得したので、いろんな方に聞いて欲しくてブログに上げさせていただきました。
僕は、よくこういうことをいろんな方に言わせてもらっているんです。
「“絶望”って大切なんです。
“絶望”させないようにしよう!ではなくて、しっかり絶望させてあげることが大切なんだと僕は思っています。
絶望できるから、新しい生き方に変わることができる。
これまでの苦しい生き方を捨てられる。
だから、
“安心して絶望できること”が大切だと思うんです。」と。
こんな金村の言葉を聞いても、やっぱり
「いやいや、絶望したないし!」
「絶望を望む人なんていないし!」
「絶望したら死んじゃうし!」
「絶望させないようにするのが、支援でしょうよ!」
「他人のことだからそう言えるんだ!絶望していいわけないじゃん!」
と思ってしまう方が多いのではないでしょうか?
きっと僕が逆の立場なら、そう簡単に受け入れる話ではありません。
「絶望」という言葉にべったりとネガティブな固定観念が張り付いています。
そんな「絶望」ですが、またまた精神科医・泉谷閑示さんが、分かりやすく説明してくれていたんです。
この方の言葉はスッと僕の中に入ってくる、とても分かりやすく優しい言葉なんです。
本文をそのまま載せたいのですが、著作の問題もありますし、またまた金村の言葉で説明させていただきます。
↓
「絶望」ってね、「望みが絶たれる」って書くんです。
そう、自分の望みが絶たれた状態ですよね。
なのにね、みんな「絶望した」って言葉を使う時には、まだ望みを絶てていないんです。
望みを絶てていないからいつまでも苦しいままなの。
望みを絶つっていうのはね、そのものに対する執着を捨てるってことなの。
「絶望して苦しい」って人はね、まだ執着が捨てきれてなくて、どうにか自分の望みを叶えたい、って必死にもがいている状態なの。
本当の「絶望」というのはね、そのものに対する執着を捨てて「自由」になるってことなんだよ。
そう、あなたの自由を取り戻すってことなんだ。
例えるならね、渋谷行きのバス停で、新宿行きのバスを待っているようなものなの。
どれだけ、そこで待っても新宿行きのバスなんか来ないのに、「来ない来ない」と嘆いているようなものなの。
とっても不自由な生き方だよね。
このバス停で新宿行きのバスが来て欲しい、
いや、きっと来てくれるはず、
という叶わない執着は早く捨てて、新宿行きのバス停を探すほうがいいよね。
これを「絶望」って言うんだ。
「絶望」ってとっても前向きな言葉だったんだよね。
親に愛されない。絶望だ。
恋人に捨てられた。絶望だ。
仕事がなくなった。絶望だ。
病気になった。絶望だ。
ううん。違う違う。
それは本当は絶望なんかじゃないよ。
早く執着を捨てて自由になって。
親に愛されない?
その親から愛されたいという執着を捨てて、自分が自分を愛してみたら?
恋人に捨てられた?
もっと素敵な恋人を見つけるために自分を磨いてみたら?
仕事がなくなった?
いっそのことしばらくの間、仕事せずに遊んでみたら?
病気になった?
病気の自分で出来ること、楽しめることを探してみたら?
みたいな感じです。
ちゃんと絶望するんです。
そこから動けず苦しんでいるのは、ちゃんと絶望出来ていないから。
もしかすると「絶望」は神様からの贈り物かもしれません。
「その苦しい生き方変えようね。もっと楽しい幸せな生き方をあなたは選べるからね。」
っていうメッセージかも。
でもこんなこと言っている僕も、やっぱり「絶望」が怖いとも思ってしまいます。
何か、一人ぼっちになりそうで。
無価値な人間に成り下がるような気がして。
生きている意味を無くすような気がして。
そんなこと絶対にないのに、なぜかそんな考えが浮かんできてしまうんです。
だからこそ、
だからこそ、
「安心」が大事なんだと僕は考えています。
絶望しても孤立しないし、ちゃんと愛されている。
そんな「安心」があるから、僕らは心から「絶望」できるのではないのかな思うんです。
世界的に有名な「ニーバーの祈り」もそんな意味なのかもしれません。
『神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、
変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、
そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。』
(ラインホールド・ニーバー:アメリカの神学者、雑誌編集者)
そして、僕の著書『あきらめてもいいんだよ』にもそんなメッセージが込められています。
今回も長くなりましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。
また、「聞いて聞いて」と突然言い出しますので、ぜひ読んでください(笑)
イロハニトイロ 所長
金村 栄治
https://www.amazon.co.jp/dp/4863382480/ref=cm_sw_r_li_api_i_HNCVEbP6MMWXP