vol.44-⑮【対話】知らなきゃよかった?
- 2023年06月26日
- 所長の学び
こんにちは。
今回を含めあと2回でこのシリーズは終了です。
今回は、ちゃんと弱音を吐いておこうと思います。
どうしてかというと「対話」があまりのも素晴らしいものであるかのようにこれまでずっと語ってきてしまったからです。
実はですね。
僕の中には「対話のしんどさ」みたいなのもいつも感じているんです。
「対話のすばらしさ」を知らなかったらどれだけ楽だったろう。
こんなに悩まずに済んだのに。
こんなに傷つかずに済んだのに。
こんなに労力を使わなくて済んだのに。
そう思う時があるんです。
「対話、対話って、対話は良いことだからやろう!っていう空気がしんどい」
みたいな方もいらっしゃるかと思います。
「言わなくても察してやってくれるほうがいいでしょ。」
「言葉にしない方がいいこともある。」
「日本は空気を大切にする文化。」
「言葉にしない美しさが日本にはある。」
そんなことを思う方もいらっしゃるかと思います。
そうなんですよね。
対話ってとっても時間もかかるし労力も使うんですよね。
もちろんその労力に見合った喜びが得られることが多いですが、いつもそうなるわけではありません。
人によっては、
弱者として扱われたい、
病気を持った者として扱われたい、
障害者として扱われたい、
という方がやっぱりいらっしゃいます。
だってそうあることで今の自分を守り、保ちながら日々を過ごせているわけですから。
そういう方にとっては、時に「対話」を通して自分の思いを語ることが、とてもしんどくさせてしまうようです。
なんかその方たちを「逃げている人」「悪い人」みたいな言い方をしているように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。
僕もその方々と基本的に同じなんです。
特に以前の僕は。
以前の僕は、「言葉にしなくてもやってくれるからこそ価値がある」と思うようなところがあったんです。
つまりですね、して欲しいことを言葉にしてしまうと、
「私が言ったからやってくれたんだ。本当は嫌なんだろうな。」
あるいは、自分の弱い思いを語っちゃうと、
「周囲に気を遣わせてしまう。お荷物な面倒な奴として扱われてしまう。」
って思ってたんです。
だから、何となく察してほしい。
僕のこと大切にしているんだとしたら言葉にしなくても分かるでしょ?! 気付けるでしょ?!
ほらほら、日本は察する文化なんだから、空気読んでよ!!
そんな感じです。
だから弱者や病者や障害者でいられると、「察してくれ」がより伝わりやすいと思うんです。
(だから僕も、風邪ひかないかな、交通事故に合わないかな、などなど病気になることを望む時があるんです)
やっぱり弱くてかわいそうでいると関心(気遣い)を向けてもらいやすくなりますもんね。
僕が離婚の危機まで至ったのも(vol.44-⑭参照)そういう姿勢を根本に持っていたからだと思います。
(そういう姿勢を持っているといつか人間関係は破綻することを僕の経験を公開することで分かっていただけたら嬉しいです)
そうやって自分の本当の想いを言葉にせずに、
「分かってもらえていない」
「愛してもらえていない」
と思い、挙句には
「嫌がらせをされている」
「遠ざけられている」
「裏切られた」
「この人信用できない。怖い。」
など被害的に考えるようになっていくんですよね。
(ここに病気だとか障害者だとかは全く関係ありません。誰でも時にそうなってしまうものです)
冷静に考えたら、とっても傲慢で超自己中心的な話ですよね。
(あ、ごめんなさい。今そういう方をバカにしたいのではなくて、昔の自分は本当にそうだったよな、と滑稽に感じているというだけです。お恥ずかしい自分の公開です)
話を戻しますと、このような方々と対話をしようと思っても、気持ちを楽にするどころか余計に苦しめることになっている、という経験をすることがあります。
そしてその不満や怒りは、直接僕自身に返ってくることもありますし、
「会わない」「避ける」「退所する」という手段を取る方もいらっしゃいます。
そんなとき思うんです。
良き対話者になれない自分の未熟さを恨んだり、
「対話」なんてものをこんなに深く知らなければもっと楽だったろうに、
と。
相手を決めつけ、弱者として扱い、管理していく方がラク。
時間も労力も心もこんなに使わなくていい。
そっちに逃げたい。
そう思ってしまうことがあるんですよね。
そんな部分が支援者が対話(本当の対話)をしない要因にもなっているのかもしれません。
今回はそんな弱音もお伝えしたいと思い、話させていただきました。
でもやっぱり「対話」に助けられ、「対話」で人が変わり、「対話」で自分が変わり、「対話」で心が癒されているのを日々感じています。
「対話」はいつもいいことばかりじゃないけど、そんな苦しさも含めて「対話」の持つ意味があると信じています。
次回、この「対話」についての最終回にしたいと思います。
ぜひ最後までお付き合いください。
イロハニトイロ所長
金村栄治