相手の反応を見て自分の行動を決めてしまう話
- 2025年08月14日
- スタッフの学び

皆さんこんにちは。生活支援員の大江です。
これは私の話です。
相手の反応を伺って、
大丈夫そうなら実行する
反応が悪ければ何もしない
そんなことをよくしてしまいます。
話したいこと、聞いてほしいことがあっても
相手が興味をもってくれていると感じたら話すし
あまり聞く気がなさそうであれば話すこと自体やめてしまう。
自分で考え実行にうつしたとしても
反対の意見を言われたり
追加の意見を言われると
元々実行にうつしていたことさえも辞めてしまう。
責められてるとでも思ってるの?
否定されたとでも思ってるの?
あり得ない。
スタッフミーティングでも
他スタッフがスマホをさわっている
パソコン作業をしている
他の話をしている
別のものを見ている
用事をしている
そんな姿があると話すことを辞めてしまう。
全て順番が逆だと思うし全て受け身。
自分の行動の決定権を相手に委ねていると思うんです。
自分軸で行動の選択をせず全て他人軸。
私の話に興味をもつか持たないか、今この瞬間にどんな態度をとるか
それは相手が決めることなのに。
自分の言う言わないの選択を相手を理由にする。
非常にしょーもない。
自分の嫌だなぁ、情けないなぁと思うことの一つです。
自分で言う言わないを決めたらいいだけ、
それに相手が興味を持つか持たないかは相手が決める。
興味を持ってもらいたい!
いい反応が欲しい!
そう思うのであれば
興味を持ってもらえるような話し方を自分で模索するしかないし
いい反応がもらえるような話し方を学べばいい。
たた、それだけ。
わかってはいる。
わかってはいるのに。
学びたくない、話すスキルをあげたくない、とさえ思ってしまいます。
言語化のレベルを上げたくないと思ってしまいます。
一つ次のステージに行かないといけない気がして。
一つレベルを上げてしまうと、未知のまた新たな課題に向き合うのが怖くて。
知っている世界で生きていたい。
知っている対処法だけでいい。
だからまた、同じことを繰り返す。
相手の反応を見て自分の行動を決めてしまう。
一番辛いのは、それに気づいてしまうこと。
言いながら話しながら
「あ、またやってる」
自分で気づきながらやっている。
知らないまま、気づかないままだったら
こんなこと思わなくて済んだのに。
知らないままで
ずっと気づかずに他人軸で自分の行動を決めることができたのに。
自分の行動や発言の責任を他人に委ねることができたのに。
イロハに来てもうすぐ6年。
未だにこんな状態の自分。
「こんな自分でもいいよね」
「自分が自分であっていいよね」
とはなかなか思えない。
こんな自分が恥ずかしい。
この内容のブログを書くことはふさわしくないのかもしれないのですが、
綺麗な部分だけ、良いことだけを言うことはやっぱりしたくないと思い、、、
私の情けない部分を今回は公開してみます。
勇気をくださったメンバーさんありがとう。
いつも話を聞いてくださり本当に感謝しています。
イロハニトイロ生活支援員
大江 裕美