イロハニトイロ

vol.49-67 支援者が障害を作っている?!

支援とは“愛する”ということ(3)

前回の続きです

今回と次回の2回にかけて「愛する」ということはどういうことなのか

なぜ「愛すること」は技術なのかということ

そして

技術なのであれば、それはどんな技術なのかということをお話させていただければと思います

愛することの詳細を知りたいということであれば以下の本をおススメします

書籍『フロムに学ぶ「愛する」ための心理学』(鈴木晶 著)

ちなみにですが、イロハの卒業生の方で、この本を読んで愛することを知り人生が変わったというかたがいらっしゃいます

その方については「ブログvol.34」を読んでいただけると嬉しいです

いかに人は自分の人生を変えていくのか、その様子が分かると思います

それでは話を「愛すること」に戻します

前回お話しました

この湧きおこってくる相手を思う感情が愛なのだとすれば、どうして相手に苦しみを与える結果になってしまうのか

それはその感情が実は自分の所有欲支配欲だったりするから、だと

でもでもそんなことないですよね

自分が犠牲になってでも愛する人を守りたい

相手の為なら、この私がなくなってもいい

そんなことすら思ってしまいます

なのに私たちは、愛することが技術であることを知らないから、多くの不幸が起こってしまっているように思うのです

愛する人を苦しめるということになってしまっているし、

この自分自身を苦しめることにもなっているのです

愛するということはもちろん他者(相手)を愛することでもありますが、
自分を愛することとも繋がっています

自分を愛することができるから相手を本当に愛することができる

相手を愛することができるから自分の事も愛することができる

ぜひぜひ、今回と次回の2回で愛することとは何なのかの入り口ぐらいには立てればと思います

それでは、「子育て」にも「教育」にも「支援」にも通づる、この「愛する技術」について説明していきます

社会心理学者エーリッヒ・フロムは「生産的な愛」には以下の基本的要素があると言いました

これら4つの要素について説明すると、「愛すること」の入り口には立てるのではないでしょうか

簡単にはなってしまいますが一つずつ説明してみます

〇 配慮

これは、相手の生命と成長を積極的に気にかけることです

配慮に必要なのは「相手がいま幸せなのかどうか」という他者に対する想像力です

相手の気持ちを想像し、それに対して自分がどう行動するかを考えることです

つまり

相手に対して関心を向けるということです

相手に関心があるから、その人の事をより深く知ろうとするものです

一方的に相手の事を決めつけてはいないでしょうか?

またゲームばっかりしてる

スマホばかり見て勉強しない

親の言うことを聞こうとしない

そんな子どもに頭ごなしに叱ったりしていないでしょうか

スマホがあるから勉強もしないんだ、生活が乱れているんだと一方的に決めつけてはいないでしょうか

僕はついつい決めつけて注意してしまいます💦

もちろんそこで起こることは反抗的な態度です💦

教育現場でも支援の現場でもついついそういったことをしてしまっていないでしょうか?

〇 責任

これは、相手の要求に応じられる、応じる用意があるということであり、それを示していくことです

だから、完全に自発的な行為と言えます

つまり他者が何かを求めてきたときの私の対応です

自分の考えや希望を押し付けるでもなく、かといって相手を無視するでもなく、「私はこれだけの事があなたの為にできる」ということを示し続けることです

相手がそれに応えるかどうかは分かりませんが、押し付けになってはいけません

相手が助けを自ら求めるかどうか、が大切です

時に待つことも「愛」ということですね

相手の事を気にかけていたとしても、関わりたくない、何もできないのであれば、それは愛とは呼べません

親をしているとついつい先回りしてやってあげたくなるものです

失敗して傷つくのが分かっているから💦

でもこれが子どもの成長の機会を奪っている

支援でいうところの「愚行権(愚かな行いをする権利)」を奪っている

「相手の為」と言いながら、結局傷ついた姿を見たくない、面倒なことになって欲しくない、

というこちら側(親や教師や支援者)の為だったりするんですよね💦

それを「あなたの為なのよ」って、親も教師も支援者も大ウソつきばかりです(笑)

あーーー、こうやって書いているとどんどん長くなってしまいます💦


残り2つの説明は次回に回させていただきます


今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました



     イロハニトイロ所長
          金村栄治