vol.49-㊴ 支援者が障害を作っている!?

自立させようとして自立を妨げている支援者(6)
僕の考えもとっても偏っているのですが、
今回は少しお話させていただきます
「じゃあ、自立させようとして自立を妨げているのだとしたらどうすればいいの?!」
そんな思いになりますよね
あくまで僕の考えです
もともと
他人の人生の責任なんか取れないことを自覚する
そして
「その人の人生の責任」
と
「支援者としての責任」
を混同しない
この二つだと思っています
たとえ親であっても自分以外の人の人生を代わりに生きてあげることは出来ません
その人の人生の責任はその人にしか取れないし
他の人間がその人の人生の責任を奪ってはいけないと思うんです
なのについつい親や支援者はその人の人生の責任まで奪おうとしてしまいます
そして最終の責任はその人に押し付ける
「私はこんなに言ったのにあなたが従わないからこうなった」
「あなたがそうしたいと言ったんだからあなたの責任です」
それなら最初から、この「私」を尊重してよ!
って思いません?!
「私は支援者としての責任がある」と
自分の役割としての責任を自覚した上で、
相手(患者さん)と自分(支援者)とをしっかり分離しておくべきではないかと思うのです
相手と自分との課題を分離して初めて、支援者として“取るべき行動”がとれる
それが「支援者としての責任」だと思うのです
あれ?
ちょっと難しいこと言ってますね
もうちょっと分かりやすく「課題を分離すること」について説明したいと思います
またまた子育てを例にとりましょう
子どもが勉強しないと将来が心配な親
でも子どもはゲームばかりしています
だから親は、子どもを叱りつけます
そしてことあるごとに勉強をするようにガミガミ言います
これで子どもは本当に進んで勉強するようになるのか?
なりませんよね?
これも「親としての責任」と「子どもの人生の責任」を混同しています
つまり子どもの人生の責任を奪ってしまっています
だから主体性が失われ、自立から遠ざかっていきます
はい!ここで課題を分離してみましょう!
勉強は誰の課題ですか?
そうです!
子どもの課題です!
子どもが自分の人生のためにするものですから困るのは子ども自身です
ということは子どもの課題、つまり責任を親が奪っていることになります
あるいは子どもの課題を自分の課題かのように思い、どうにかしようとしている
そんな感じです
でも親は思います
「いやいや、子どもが勉強してくれないと私が困る」
「ちゃんと子育てしないとこの子が将来困ってしまう」
これは誰の課題なのでしょうか?
子どもが将来どうなるのか不安、ちゃんと育てたいと思っている
のは親の課題です
はい!ここで“課題”が分離されました
勉強しないで困るのは子どもだから勉強は子どもの課題
子どもが将来どうなるか不安、しっかり育てなきゃ
子どもが思うように育ってくれなくて困るのは親だから、子育ての悩みは親の課題です
それが誰の課題かを見分け方は
その結末が誰に降りかかるのか、
つまり責任はだれが持つのか、ということです
そうするとこんな声が聞こえてきそうです
「だから、親は子どもを自立した人間に育てるために頑張っているんだよ。だから勉強させようとしているんだ。何がおかしいのよ!」
って
はい
それでは課題を分離したところで考えてみましょう
子は親の課題を満たすために生きているのでしょうか?
ドキッ!!!
子どもは、親の人形なのでしょうか?
親の思うように生きることが幸福な人生なのでしょうか?
ドキッ!!!
ですよね
それって「自立」からほど遠い人生になっていくと思いませんか
「自立」どころか、人から支配される受け身的な人生になる方が大きいでしょう
課題の分離が少し分かってきたでしょうか?
課題の分離が分かると、こういうことが分かります
と続きをお話したいのですが、長くなったので次回にまわします
ぜひ続きを読んでください
イロハニトイロ所長
金村栄治