イロハニトイロ

vol.49-⑫ 支援者が障害を作っている!?

虐待をする支援者は悪い支援者?

「虐待」は、相手に不利益(苦痛、恐怖)を与えること。

それをすることは悪いこと。

だから虐待をする支援者は、悪い支援者。

その通りだと思います。

罰せられるべきだと思うし、同じことが起こらないようにすべきだと思っています。

でも本当にこの支援者は、この人は悪い人なんでしょうか?

患者さん(利用者さん)を虐待したくて支援者になったんでしょうか?


その為に必死に勉強をして資格を取ったのでしょうか?

いえいえ決してそんなことはないはずです。

きっと、

困っている人を助けたい。

誰かの役に立ちたい。

弱っている人を元気にしたい。

そんな「他者を愛し、他者に貢献したい」という思いから支援者になったはずなんです。

ということは、そんな思いで支援を始めたのにいつしか、虐待をするまでになってしまったということになります。

いや、もしかすると…

そんな風に「相手を思う気持ちが強く、とても一生懸命な人」だから虐待にまで至ったのかもしれません。

虐待についての僕の経験を2つご紹介したいと思います。

いずれにしても、「相手を思う気持ちがいつしか相手を苦しめることに至った」というお話です。

一つ目が、

僕の子どもへの虐待のお話です。

(これは以前にもブログで書かせていただきました)

僕自身、幼少期の問題をいろいろ抱えていてですね、自分が親になったときには自分の子どもには同じような思いをさせたくない、って強く思っていたんです。

自分が言われて傷ついて言葉は言いたくないし、

親にして欲しかったことを自分の子どもにしてやろう。

そして僕みたいな嫌な苦労はさせず(良い苦労をして欲しい)に、

自分を大事にして元気に生きていけるような人間に育ててやろう。

そんな風に思っていたんです。

(ちなみに子供は4人います)

ここだけ聞くと、とても優しそうな愛あるお父さんって感じしませんか?

じゃあ、実際に僕の子育てはどうだったかというと、

言うことをきかない子どもを怒鳴りつけたり、

癇癪を起こす子どもを力で抑えつけました。

叩くこともあったし、

服を乱暴につかんで持ち上げることもあったし、

押し入れに閉じ込めることもありました。

玄関から外に出すこともありました。

まだ3歳や4歳の子どもをです。

通報されてもおかしくないくらいのことですよね。

それでは、その時の僕の心境はどうだったのか。

常にそこには「子どもを良くしたい」という正しさがあったんです。

「良い親であるべき」というべき思考があったんです。

子どものために一生懸命に頑張る自分がいたんです。

だからこそ、だからこそなんです。

ある一定の部分を超えると大きな怒りが沸き起こり、

手を出して力づくに従わせるようになっていたんです。

こんなにあなたのためにお父さんは頑張っているのに!って。

なんでそんなことするの!って。

だから普段は優しそうなお父さん。

(周囲からも「いいお父さんだね」と言われるような感じです。)

でもある一線を越えると変貌するわけです。

そしてそして、

力づくで従わせようとしてしまう。

その後に襲ってくるのが、とてつもない罪悪感なんです。

そして大きな自己否定

だからこそもっと「良い親」でいなければという思いが強くなり頑張るわけです。

そうやって「良い親」であろうとすればするほど、また手が出てしまうという悪循環なんです。

僕は子供を自分の人形のように支配したかったわけでないし、

ストレス発散の道具として使いたかったわけでは決してありません。

自分の命を犠牲にしてでも守りたいと思えるかけがえのない存在です。

だから虐待をする支援者の方も・・・

な~~んて言うと

「仕事とプライベートは違うだろ」

「仕事は対価としてお金をもらっている。それなら私情を横においてより良いサービスを提供するのが使命であり、自分の子どもの虐待とは意味が違う」

という反論の声が聞こえてきそうです。

確かにそうですよね。

でもですね。

共通点はたくさんあると思っているんです。

次回その辺りの僕の考えと、もう一つの虐待のお話をさせていただければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

      イロハニトイロ所長

           金村栄治

(その後のお話)

今はもちろん子どもを力で従わせるようなことはしていません。

虐待していた僕がどうやって虐待を手放せたのか。

それは妻の言葉でした。

自己嫌悪に苛まれ落ち込んでいる僕を見て、

「手を出したって大丈夫やし。うちらの子どもはそんな弱くないし」と言ってくれたことがきっかけでした。

僕を責めるどころか「それでいい」と言ってくれたのです。

このことで、僕の中で生まれた思い。

それは

「良い親じゃなくてもいいんだ」

「子どものこと信じてあげられてなかったんだ」

ということです。

そう思えたことで肩の荷が下り、とても心が軽やかになったんです。

すると自然と手を出さなくなりました。

もちろん4人も子どもを育てていると時に理不尽に怒ってしまうことはあります。

間違うことも多々あるんです。

そんな時は必ず次の日に子どもに謝ることだけは続けています。

良い親じゃないから間違う。

間違うから謝る。

そして自分も子供も共に成長していく。

そんなのでいいんだなと今は思えています。