イロハニトイロ

vol.49-⑪ 支援者が障害を作っている!?

優しい支援者は悪い支援者?

それでは「正しくて優しい支援者」は悪い支援者なんでしょうか?

いえいえ決してそんなことはありません。

とっても愛のある素敵な支援者だと思っています。

僕が「支援者が障害を作っている」ということについて最初にお伝えしたいことが、

私たち支援者は

愛し方を間違っていたのではないか

ということです。

「愛する」なんていうと宗教染みていて、なんかむず痒い気もしますので表現を変えてみたいと思います。

その利用者さんに対する「支援の姿勢」を間違えていたのではないかということです。

僕はこれって「親」でも同じことが言えると思っているんです。

立場は違えど、根本的なところ「愛し方=支援の姿勢」は同じなんじゃないでしょうか。

子どものことをこんなにも愛している。

こんなにも「あなたの為」に親は頑張っている。

なのに子は問題ばかり起こす。

暴言を吐く。

言うことをきかない。

学校に行かない。

引きこもっていく。

病気になっていく。

ある精神科医(岡田尊司)がこんな言葉を使っていて、うまい表現だなと思ったのでご紹介します。

「腐ったミルクを飲ませているようなもの」

とても面白い表現だと思いませんか。

つまり親や支援者は相手にとって良いと思っていることを一生懸命にやっています。

もちろん相手の為だと思い込んでいます。

まさに「ミルク(栄養)」を与えているわけですよね。

そこには「相手を大切に思う気持ち」「正しさ」があるから

与えている側はそのことが良いことだと信じ込んでいます。

でも実は、それらの行為が相手にとってはになっているかもしれない。

まさにそのミルクが「腐っている(苦しみ)」わけです。

でも与えている側は、そんなこと知らないわけです。

与えている側は、「健康なミルク」だと思い込んでいます。

「あなたの為」にこの「健康なミルク(栄養)」を飲ませていると思い込んでいます。

与えられている側は、それしか飲み物が無いから仕方なく飲むしかありません。

ミルクが無く飢えるくらいなら、腐っていても感謝して飲むしかない。

いやいや、飲んでいる人もそれが腐っているミルクだと分かっていないかもしれません。

だってこんなに自分の事を大切に考えてくれている人が与えてくれているものだから。

少しずつ、僕がお伝えしたいことが分かってきたでしょうか?

「優しい支援者」が悪いと言いたいのではなく、

この「優しさ」や「正しさ」が

相手を苦しめ病気や障害を作り出しているかもしれない

ということに、

今一度立ち止まって

考えていただきたい

ということです。

もしそれが事実だとしたらこんな恐ろしいことはありませんよね。

自分の大切な人の為に一生懸命与えたいたもので相手を苦しめていたなんて。

そしてそのことに気付いてもいなかったなんて。

このことに気付いたある支援者は仕事に行けなくなったそうです。

自分がこれまでしてきたこと、

それらが相手を苦しめていたことを実感した時、

罪悪感に苛まれ支援の仕事ができなくなったそうです。

(現在は新しい視点で見える世界で、再度活躍されています。前以上に。)

そうなんです。

支援者の人たちってとっても優しく思いやりのある方々なんです。

「愛ある支援者」だからこそ、この気づきは衝撃的なものだったんだと思います。

私たち支援者は、色眼鏡を付けて世界を見ているんだということに気付いていただきたい。

その色眼鏡を外すきっかけになればいいというのが、この「ブログvol.49」の目的です。

次回もう一つの疑問である、

「なぜ心優しい支援者が虐待をする支援者に変わるのか?」

についての僕の体験からの考えをお話させていただきます。

次回もお読みいただけると嬉しいです。

       イロハニトイロ所長

            金村栄治

<「愛するということ(エーリッヒ・フロム著)」より抜粋>

「非利己主義」の母親が与える影響

こういった母親は、子どもは母親の非利己主義を見て、愛されるとはどういうことなのか、さらには愛するとはどういうことなのかを学ぶに違いない、と信じている。

ところが彼女の非利己主義は、彼女の期待通りの影響を及ぼさない。

子どもたちは、愛されていると確信している人間が見せるような幸福な表情を見せない。

彼らは不安におびえ、緊張し、母親に叱られることを恐れ、なんとか彼女の期待に沿おうとする。

ふつう子どもたちは、人生に対する母親の隠された憎悪をはっきりと認識できるわけではないが、敏感に察知し、それに影響され、ついにはそれにたっぷり染まってしまう。

結局のところ、「非利己的な」母親の影響は利己的な母親の影響とたいして変わらない。

いやそれどころか、ときにはもっとタチが悪い。

なぜなら母親が非利己的なので、子どもたちは母親を批判することができない。

子どもたちは、母親を失望させてはならないという重荷を科せられ、美徳という仮面のもとに、人生の嫌悪を教え込まれる。

純粋な自己愛をもった母親なら子どもにどのような影響を及ぼすかをみてみれば、子どもが愛や喜びや幸福がどんなものであるかを知るには、自分自身を愛する母親に愛されることがいちばんだということがわかるはずだ。