vol.49-㉟ 支援者が障害を作っている!?
自立させようとして自立を妨げている支援者(2)
支援者って目の前の患者さん(利用者さん)を「良くしたい」って考えています
親も同じですよね
「良い子に育てたい」って思っています
そのためにできることを一生懸命頑張っている
それって素晴らしい支援者ですよね
ステキな親ですよね
そして、そんなに一生懸命なのはどうしてかと尋ねられると
「私には担当支援者(親)としての責任がある」
と言ったりします
担当としてできることをしたい、それが自分の役割だと思っています
でもですね
「自分には責任がある」
という言葉こそまさに“責任回避”の言葉なんじゃないかなって僕は思ってしまうんです
え?なんで?
ですよね(笑)
めっちゃおかしなこと言ってますよね?
ちょっと詳しく説明させてください
どうしてかというとですね
「自分には担当支援者としての責任があるから頑張る」という行為は、
裏を返せば、
“(失敗して)責任を負いたくない。誰かに責められたくない”
という思いを持っているということでもあります
ここ分かっていただけますか?
ということは?
担当支援者としてダメな奴、あなたの支援がダメなんだ、だからこの患者は悪くなった
と私(担当支援者)が責められないためにはどうすればいいと思いますか?
役立たずの烙印を押されないようにどうすればいいと?
そうです
一生懸命な支援者を演じるわけです
そして
患者さんに“正しさ”を押し付け、時に叱ったり権威で従わせ、自分の思い通りに操ろうとするわけです
いやいや叱ったり、威圧したり、そんなことしていない、
と思っている支援者の方もいると思います
でもきっと一生懸命患者さんの訴えに応えようとすることはしているわけです
でもでも、そこには常に“支援者の正しさ”があって、
その“正しさ”に添った訴えには応えるけど、
そうじゃないものは否定してしまいます
「仕事復帰したいから手伝って欲しい」 → めっちゃ協力する
「引きこもって何もせず過ごしたい」 → 否定する 引きこもらないことを説得する
上手な引きこもり方の支援でもいいはずなのに、それは支援者は許さないわけです
だって支援は、「支援者の正しさ」に添った上での良い方向へ導くことだからです
そうやって“正しさ”を常に掲げて、相手に優しい態度で“正しさ”を押し付け、
従わせようとしていれば、
もし病気や状態が悪化しても
「私はこれだけのことをあの人の為に頑張ってやってきた。それなのに…」
と言い訳ができるわけです
上手くいかなかったのは、私の言うとおりにしなかったあの人(患者さん)の責任にすることができるわけです
ほら、責任回避しようとしているでしょ?
そしてさらには、
この私は、そんな大変な患者に一生懸命関わる誠実な素晴らしい支援者を演じられる
患者さん(弱者)をダシにして支援者の自尊心を高められる
そうしている自分も、そんな自分を見ている周囲の人も納得させられる
ほんと誰のための支援なのかわかりませんね(笑)
前回お話した「愚行権」を許さないのも、こういった理由があるからかもしれません
そんな愚かな行いされちゃうと、支援している私が困っちゃうわけですね
悪く見られちゃうし、自分の評価も下がるかもしれないわけです
でも、本当はこの「悪くなること」「愚かな行いを経験すること」が自立に向かう上で大切なのに
自分たち(支援者)はそういった経験(愚かな行い)をしてきたはずなのに
患者さんにはそれをさせないし許さない
悪くなることは「悪」
良くなることが「善」
この強烈な支援者からのメッセージが、患者さんを追い詰めている
回復から遠ざけている
う~~~ん💦
よく分からない話になってきましたかね?
次回、もう少し詳しくお話させていただければと思います。
イロハニトイロ所長
金村栄治