vol.49-⑯ 支援者が障害を作っている!?
- 2024年06月17日
- 所長の学び
問題って本当に問題?
「問題」についてもう少しお話させてください。
その人の「問題」を解決するお手伝いをするのが支援者の仕事だとしたら、
その問題ってオリジナルなものでなければいけないと思うんです。
なのに支援者は、「問題」を自分たちで形作っていくところがあると思うんですね。
「これがあなたの問題です!」って。
・・・。
ちょっと何言っているのか意味わかりませんよね?
詳しく説明させていただきます。
皆さんこんなこと思うことがないですか?
友人や同僚など身近な人から悩みを打ち明けられて、
「こんなことで困っているんだ。とっても悩んでいるんだ。」
と教えられた時に、
え?そんなことで?
それのどこが問題なの?
って思ったこと。
きっとありますよね。
いや絶対にあるはず。
例えば、自分には恋人がいない時に、友人から恋人との喧嘩の話を聞かされてもノロケ話にしか聞こえなかったりします。
「これ何聞かされてるんやろ? 自慢なの? 僕へのマウント?」
もちろん本人はいたって真剣だろうし、思い悩んで落ち込んでいるように見えます。
あるいは、
前髪切りすぎたから外歩けない、
とか
3年前のあの恥ずかしい思い出が忘れられない、
とか
赤面症だから人と話せない、
とか
親が自分の事分かってくれない、
とか
家が貧乏だ
とかとか。
「前髪気にしているのあなただけだよ」
「3年前の失敗なんて誰も覚えていないけど」
「赤面症のところがかわいらしいのに」
「親ってそういうもんでしょ。嫌なら家出りゃいいのに。いい大人だし」
「それでも生活できるお金はある。あとは働くだけだよ」
何が問題なの? って感じなんです。
でもおもしろいんです!
いざ自分のことになると、他の人が「そんなことで悩んでいるの?」ってことでやっぱり悩んでいたりするんです。
(学生の頃、天然パーマで悩んでいたら、友人が「天然パーマに生まれたかった」と直毛であることを悩んでいることを知って衝撃を受けた思い出があります。あれ?自分の悩みって何なんだろ?って。)
ということは、
「問題」って、すべてがオリジナルなものなんです。
その人が「問題」に感じていたら、それは「問題」なんです。
お!出てきました!
「問題に感じていたら・・・」
「感じていたら・・・」
そうなんです。
問題なんて、その人が問題だと思わなくなれば「問題」ではないんです。
これって衝撃的な事実だと思いません?!
天然パーマで悩んでいるのは自分がそれが嫌なだけ。
でも実際は天然パーマを望む人がいる。
貧乏で悩んでいるのは、自分がそれを苦しいと思っているだけ。
いろんなしがらみから解放されてホームレスになりたいと望む人もいる。
会社の上司に悩んでいるのは、上司の言葉で自分が苦しんでいるだけ。
上司の言葉を励みにして頑張っている同僚もいる。
「問題」は、「それが問題だ」と思った本人が作り出すものです。
だからって「問題」を「問題として捉えるな」なんて言っているんでは決してないですからね。
誰が何と言うと、今の私はこれが「問題」だと感じてしまう。
「問題」ってそういうもんなんです。
だから問題を軽んじているのとは違いますからね。
誤解されないように。
問題はオリジナルなものであり、
その人が「問題だ」と感じているものであり、
その人が「問題」だと思わなくなれば問題は解決されるのに、
他者(支援者)が問題を作り出し(見つけ出し)、それを解決しようとしている。
そして、「解決しようとする」から問題が大きくなっていくこともあるんです。
「問題」はきっと今のその人に必要なものだから存在しています。
(学生の頃、天然パーマで悩んでいたのは、自分がモテない言い訳として必要だったんです。直毛の人がカッコよくてモテているように思ってたから。今は天然パーマで良かったと思えています。出来事自体は変わっていないのに問題は解決されているんですよね。今の僕が問題と思っていないから。)
「問題」を「問題でない」にするのはその人自身にしかできないんです。
だから他人が無理やり問題を解決させても、
その問題の目的(モテない理由付け)が解決されない限り新たな問題を作り出していきます。
(ストパー当てて直毛になったとしても、今度は「背が低い」とか「喋るのが苦手」とか「服のセンスが悪い」とかとかどんどん新たな問題を作り出していきます。)
だって本人がそれを必要としているから。
(モテない理由が必要。)
面白いですよねー。
長くなってきたので続きは次回にします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治