vol.49-⑮ 支援者が障害を作っている!?
- 2024年06月10日
- 所長の学び
問題が解決すると困ってしまう
前回の続きです。
支援者は問題を解決しようとします。
でもなぜか不思議と問題は無くなりません。
そしてなぜか本人も問題を解決しようとしていないように見えてしまいます。
あるいは、問題が解決しても新たな問題が発生して一向に前に進まないことがあります。
ここに、
「問題を解決したい支援者」
と
(実は、)「問題を必要としている患者」
がいて、
そのズレがさらに問題を強固にしているのかもしれないというお話でした。
でも「問題を必要としている」だなんて信じられませんよね。
問題なんてない方がいいに決まっている。
そう思いますよね。
この僕だっていつも多くの問題を抱えていて、「無くなればいい」「解決したい」と思っています。
問題が無くなれば生きやすくなるに違いないと思っています。
それなのに「問題を必要としている」なんて。。。
おねしょ(夜尿症)の例がとても分かりやすいのでご紹介させていただきますね。
おねしょは「子供の心の涙」なんてあるドラマで言っていました。
まさに、訴えられない心の寂しさをおねしょをすることで子どもが親に訴えているかのようです。
(もちろん、寝る前の水の飲み過ぎなどのただの生理現象ということもあります)
おねしょをするって親からしたら「問題」ですよね。
(本来、大した問題ではないのですが、ここでは親が後始末が大変だから治したいと思っている問題だとしてください)
問題だから解決したい(治したい)と思ってしまいます。
問題を解決したい親はどうするかというと、
「寝る前にトイレに行かせる」
とか
「寝る前にお水をたくさん飲ませない」
とかするわけです。
そして、おねしょがあると残念そうな顔をし、
おねしょをしなかったら喜ぶわけです。
でも不思議。
またしばらくするとおねしょをするんですよね。
「おねしょは子どもの心の涙」という言葉をお借りすると、
おねしょは子どもの寂しさの表れなんです。
もっと親に構って欲しい、もっと親に認めて欲しい、そんな思いがおねしょになって現れています。
どうしてか?
おねしょをすると親の関心が自分に向くからです。
親が自分のために悩んでくれるからです。
ほら見えてきました。
問題を解決したい親(支援者)
と
問題を必要としている子ども(患者)
だから「問題(おねしょ)」を解決しようとすればするほど、子どものおねしょの目的が達成されるわけです。
もちろん子どもも頭では
「おねしょしたくない」
「お母さんを困らせたくない」
と思っていることでしょう。
それでも、問題を作り出すことで親から関心を得られる喜びを無意識に感じています。
そうなんです。
全ての問題には必ず目的が存在しています。
その目的を考えずに問題を解決することが良いことだという思い込みで支援していしまっているところに何かつまづきがあるようです。
「おねしょは、子どもの問題行動であり大人と一緒にするのはちょっとおかしい」
と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
分かりやすい例として、「おねしょ」を出しましたが、根本的な仕組みは同じだと思っています。
その問題には何か別の目的がある。
必要だから問題を作り出している。
大人の方が子どもよりもより複雑で分かりにくくなっているだけかもしれません。
以前、イロハニトイロのあるメンバーさんにインタビューした時にも同じように話されていました。
「問題を解決されたらきっと新しい問題を作り出していた。だって自分にはそれが必要だったから。」(ブログvol.34-②参照)
次回、その「問題」についてもう少しお話させていただければと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治
<夜尿症を治す方法>
問題に注目しない!
なぜならその問題行動は、親の関心を集めるためのものです。
おねしょしようが淡々と片づけをするだけ。
困った表情も見せず、おねしょしない日も喜ばない。
とにかくそのことに関心を向けない。
でも子どもは関心を向けて欲しいわけですから、別のところで関心を向けるようにする。
子どもがしている遊び、子どもが頑張っていること、子どもが悩んでいること、それらに関心を向ける時間を増やすだけです。
ちなみにうちの子どもも長男の時には本当に悩まされてあれこれやりましたが、
この方法を知ってからは、次男以降はおねしょで悩まされたことはありません(もちろんおねしょはありましたが、単発で終わり。)