イロハニトイロ

vol.49‐㉑ 支援者が障害を作っている!?

支援の方針を他人が決める(3)

前回引きこもりを例に挙げましたが、この感覚って皆さん経験していると思います。

「相手の求められている答えを言おうとしてしまう」という経験です。

自分の思いではなく、「相手に求められている正しい答え」を言う、

いや、言わないといけないような感じがする、

そんな感覚です。

例えば、

学校の先生に「どうしたい?」と尋ねられて、

本当は何もしたくない、やりたくないんけど、

「頑張って跳び箱飛べるようになりたい」

とか

「成績を上げたい」

とかとか。

仕事で上司にこれからの仕事のことを聞かれると、

本当は失敗したくない、無難でいたい、努力せずお金だけもらいたい、

と思っていても

「○○ができるようになりたいです。」

「もっと○○を学びたいです。」

などと言うわけですよね。

でも実際は行動が伴わず、自分が言ったように出来なかった。

そんな経験、誰もがあるはずです。

なんか世間の正しさに添ったものじゃないと否定される、嫌われる、排除される、

そんな不安になってしまう仕組みが私たちには染みついている気がするんです。

そこに「教師」「上司」「支援者」などと権威が加わってしまうとなおさらです。

でもでも皆さん、一方でこんな経験もしているのではないかと思います。

仲の良い友人と食事に行って、

「仕事がしんどい。もうやめたい。」

愚痴(弱音)を吐いたり

「あいつ嫌い。あいつの態度が本当に腹が立つ」

悪口(不満)を言ったり、

「本当はこんなことがやりたいんだ。」

やりたいこと語ったり

「こういったことで困ってるんだ。本当に辛い」

悩みを打ち明けたり。

(最近はこんな話も親にできるという若者が増えているそうですね。だから友人ではなく親に言えている人もたくさんいると思います。)

きっと本音ってこういうところで出てくるんだと思います。

(もちろん仲の良い友人にも本音は出せない、とかそもそもそんな友人なんていない、という方もいらっしゃるかもしれません。そんな方はもしかするとネット上で吐き出しているかもしれません。こんなにもネット上で誹謗中傷が多いのも、普段本音が話せない人たちがたくさんいるからなのかもしれませんね。)

話を支援の現場に戻します。

これまでの話をふまえると、

本人が望まないままに支援をされる(ことが多い)。

そこに「正しさ」や「権威」があるから、本音が言いにくい。

だって本音って、とっても非常識で情けない内容だったりするから。

そして支援者からは「どうしたいですか?」「あなたはどのように考えていますか?」と尋ねられる。

自分の考えは間違っていると思っているし、否定されるのが怖いから、相手の求める答えを探して答えてしまう。

「もっと良くなりたいです」「病気を治したいです」「社会復帰したいです」

その言葉を支援者は本人の意志だと受け止める。

本人の意志に添った支援の方法を、専門家(支援者)で話し合い始める(自分のいないところで)。

そこで決まったことを本人に提示する。

こんなダメな状態の自分を、良くしようとしてくれている正しさ(支援)には逆らえない、から同意する。

同意はしても心が伴っていない(本音ではない)から、行動が伴わない。

あるいは別の問題を作り出す。

この人は、「問題のある障害者」となっていく。

本人も「やっぱり自分はダメなんだ」と思い込んでいく。

そんな感じでしょうか?

ちょっと決めつけが過ぎるかもしれませんが、

これまでの僕の経験からするとだいたいこんな感じです。

この人が問題のある障害者に仕立て上げられるに至ってしまったのは、どこに間違いがあったのでしょうか?

何が足りなかったのでしょうか?

僕は大切な2つの部分に注目したいと思っています。

そしてそれが「支援者が障害を作る」になっていると考えています。

この続きは次回にお話させていただきます。

         イロハニトイロ所長

              金村栄治