イロハニトイロ

vol.46-⑨【勘違い】イロハは自由です(前編)

勘違いシリーズ8個目です。

勘違いシリーズはまだまだ続きます(笑)

どうぞお付き合いください。

このタイトルを見ると、

「お!きっとイロハは自由だと言っていたらみんな好き勝手自由にして大変で、自由の中にもルールがあるだろう。

きっとそんな話なんだろうな。」

と思った方がいらっしゃるかもしれません。

実は、今回はそういう勘違いではないんです。

「自由」の意味を皆さん履き違えているってお話なんです。

イロハでは多くの方々が「自由」という環境に戸惑われます。

「え?ルールないんですか?!」

「え?自分が決めていいんですか?!」

「え?決めたこと変わってもいいんですか?!」

「え?何もしないことを選んでもいいんですか?!」

これまで「こうあるべき」を守りながら「不自由」に生きてきた方々にとっては、

一見「ラクで楽しく」思えるこの自由な環境の中で、

実はとっても大きな苦しみが生まれています。

どうしてかというと、

自分で選択するってことは、

自分で考えないといけないし、

“自分で選んだ”ことに責任が生まれてしまうからです。

「自由」って言葉はとっても魅力的に聞こえるけど、いざその環境になれば多くの人はとっても苦しくなってきます。

きっと皆さん、これまでの

「自分の意にそぐわない不自由」な状態から

「“自分の思いを満たしてくれる“ような不自由」な状態

になることを「自由」であることかのように勘違いしてしまっているようです。

私の思いをくみ取ってくれ、かつ明確な指示も与えてくれる。

つまりこれまでの「こうあるべき」という人に敷かれた線路から

別のもっと生きやすい線路へ、イロハが変えてくれるような。

でもこれって「線路」という道を他者に敷いてもらえないと走れないということで。

つまり、これまでと変わりないんです。

だから、いざイロハに来てみると、

そんな自分の気持ちを満たしてくれるような線路は敷いてくれないわけです。

そして、そんなイロハの環境に不満を感じて、

上手くいかない理由を「スタッフ」や「他のメンバー」や「病気」のせいにしたりします。

それでは、イロハにおける「自由」の意味を、

「自由」の過酷さを後編でお話したいと思います。

           イロハニトイロ所長

                金村栄治