vol.45-②【自分軸】え?! それって他人軸?
- 2023年07月18日
- 所長の学び
こんにちは。
前回の続きになります。
「他人軸」「自分軸」と勝手に私たちは表現しているのですが、具体的にどういうことか分かりづらいですよね?
「自分軸」を知るためには、まず「他人軸」で生きているとはどういうことなのか知る必要がありそうです。
そのあたりの説明をさせていただくために、
「他人軸」の例をいくつか挙げてみたいと思います。
よく私たちが口にする言葉
「○○だから△△できない」
コレよく使いません?
「頭が悪いから△△できない」「家が貧乏だから△△できない」「もう若くないから△△できない」
などなど、しょっちゅうこんな言葉を使っていませんか?
他には
「自分は本当はしたくないけど、そうせざるを得ない」
なんてどうでしょう?
「本当は今の仕事行きたいくないけど子供がいるからやめられない」
「本当はやりたくないけど親(先生)がそう言うからしないといけない」
「本当はおかしいと思っているけど上司に言われたからするしかない」
「本当は○○したいのに、△△があるからできない」
も同じですね。
あるいはこんなのはどうでしょう。
「○○さんが分かってくれない」
「誤解されて困っている」
「信じていた○○さんに不信感が出てきました」
「○○さんはきっと私を嫌っている」
「あの人のせいで私は困っている」
もっといきましょう。
「みんなもそうしているでしょ。だから自分もしないと」
「普通はこうでしょ!」
「常識的にはこうでしょ!」
「みんなに迷惑かけないようにしないと!」
もうよろしいでしょうか(笑)
(これらの言葉の数々は実際に僕が言っていた言葉です。そして、イロハの利用者さんに僕が言われた言葉でもあります。昔の僕も、イロハの皆さんも最初はやっぱり他人のせいにして一生懸命自分を守っているんですよね。それが少しずつイロハでは切り替わっていきます)
「これらがどうして他人軸なの?」
「事実じゃないか!」
「他人と一緒に生きているんだからいろんなしがらみがあるでしょ!当然のこと!」
と思う方が多いかもしれませんね。
これらがどうして「他人軸」なのか、というと
これら全ての判断基準が
「自分以外の他者(出来事)」
になっているからです。
もちろん私たちは他者や環境(出来事)の影響を受けながら生きているのは事実です。
(これを「中動態」と言います。興味のある方はググってみてください)
ここから逃れることはできません。
しかし、判断基準が「他者中心」になってしまうことを、私たちは
「他人軸中心で生きている」
と表現しています。
ではでは、判断基準が「他者中心」になることはそんなに悪いことなのでしょうか?
いえいえ! 決してそうではありません!
「判断を他者に委ねていること」をご自身が理解して、
その上で、そう行動することをご自身で選んでいるのであれば大丈夫です。
なぜならそれはもう「自分軸(自分が選んでいる)」だからです。
(他者の行動や意見に従って選ぶことを“自分で選んでいる”というのであれば、それはもう「自分軸」だということです。ややこしいですね。)
しかし多くの人がそうではありません。
自分では気付いていないことが多いんですよね。
そして「他人軸」で生きるとどうなるかというと、
自分の人生の責任を自分で負わなくなるんですよね。
(なんか厳しい言葉ですみません。つまり、自分の人生すらも他人任せになるということです。だから「変えれない」「どうしようもない」「苦しい」「私はなんて不幸」になっていきます。他人任せだから当然ですよね)
これってある意味ラクでもあるんです。
でもでも、実際は苦しみのほうが多く生まれちゃうんですよね。
どうしてかはなんとなくお気づきではないでしょうか?
それは
「他者」は無数にいるから
なんです。
そして
価値観も無数にありますし、人柄や相性も様々。
そしてそして、
他者はいつも自分の思うように行動してくれないし、欲しい言葉をくれるわけではありません。
他者は自分の期待を満たすために生きてはいないのです。
そんな他者に左右されながら自分の人生を無責任に生きていってしまいがちなのが私たちです。
(何度も言います。金村もそうやって自分を正当化し、他者を責めて嫌って、自分が傷つかないように無責任に生きてきた人間です)
それをやめて、「自分軸中心の生き方に変える」ことをイロハでは目指しています。
(他者が存在する以上、完全な「自分軸」で生きるなんてことはできません。あくまで「自分軸中心」ということです。誤解のないようにお願いします)
その「自分軸」について、次回説明をさせていただきたいと思います。
イロハニトイロ所長
金村栄治