イロハニトイロ

vol.44-⑫【対話】この思いを語っていい?

こんにちは。

「対話」について金村の気付きを書かせていただいています。

前回は、対話って“ハーモニー”ではなく“ポリフォニー”だった、というお話をさせていただきました。

もちろん、それだけで僕の「対話」への考えはガラリと変わったわけですが、まだまだ多くの学びがそこにはあったのです。

そんな「対話」についての学びを今回もお話しさせていただければと思います。

1年間のオープンダイアローグ(開かれた対話)基礎研修を受講する中で僕はこんな思いと向き合うようになりました。

「みんなキレイごとばっかり言っている。

それって本音なの?!

結局対話なんて上手に相手を操作するためのものなんじゃないだろうか。」

という僕の中に沸き起こってくる“黒い”思いです。

だってですよ。

研修に全国から参加している方々、そして講師の方々、みんな優しくて良い人に見えるし、実際話すこともとても優しい言葉ばかりなんです。

なんか僕はそこがとてもしんどかったんです。

え?自分だけこんな黒い思いを持っているの?

みんな良い人たちで、僕だけがドス黒い思いを抱えていて、なんかとっても嫌な奴?

もっとおおらかで清い心を持てるようにならないといけないの?

いやいや、それともみんな良い人の仮面を被って研修を受けているんじゃないだろうか。

それならなんか嫌だな。。。

・・・

でも小心者の僕は、周囲に合わせて自分も良い人の仮面を被ってしまうんです。

でもある時、僕は思い切ってこの疑問を投げかけてみたんです。

(もちろん、僕がそのようなことができたのも研修を続ける中で対話に対する固定観念が崩れてきたからです。あなたの湧き上がる思いを語っていい、と言われたからです。)

正直に僕は話してみました。

参加者の皆さんがとっても良い人に見える。

でも僕の中ではとても黒くて嫌な思いが湧き起こってくる。

利用者さん(患者さん、クライエント)とお話ししていても相手を否定したりけなすような思いが湧き起こってくることだってある。

そんなのすら語っていいんですか?

こんな思いを語るなんてできないでしょ。

そんなの語ったら関係が悪くなるんじゃないでしょうか?

どうしてみんなはそんな優しくいられるの?

きっと質問をしながら少し涙が出ていたと思います。

それだけこの質問することすらも苦しかったのです。

そんな僕に返って来たもの。

それは

「なぜ金村さんはその思いを語らないんでしょうか?語ってもいいんです。」

(↑こんな言葉じゃないですが、こんなニュアンスの内容です)

というようなものでした。

自分の思いを自分の思いとして大切にして欲しい

というものでした。

そうです。

僕は僕の気持ちを一番大切にしていなかったんです。

悪い感情や考えは必死に押し殺していたんです。

それがプロの支援者になるためだと思って。

いや、人と上手くやっていくためだと思って。

自分の中に沸き起こる“大切な想い”を言葉にしていくのが「対話」だったのです。

“オープンダイアローグ”

“開かれた対話”

ここの「開く」には、心を開くという意味もあります。

相手の言葉や思いを大切にしながら、同じくらい自分の思いも大切にする。

だからそんな大切な自分の思いを語っていいんです。

それが例え不快な思いであっても。

でもやっぱり僕の心は抵抗してしまうんです。

え?じゃあ、相手をけなしてもいいの?

正直になんでも言っていいの?

喧嘩していいの?

この答えは研修を通して学ぶことになりました。

研修の中では決して答えを教えてくれません。

なぜなら答えは自分の中で導き出すものだからです。

(それが本当の学びとなります)

そしてその答えが人と違っていてもいいんです。

だからまたその違いの中で人は語り合えるんです。

それでは、僕が研修を通して学んだこと、それは、

自分の思いに耳を傾け、その思いを丁寧に言葉にしていく作業は、僕の心を癒していくということです。

(「丁寧に」というのは、喧嘩腰に相手を罵倒するのではなく、私の大切な気持ちとして相手との間に言葉を置いていく感じです)

「今、僕はこんな気持ちがしている」

「今、僕の胸には悲しい気持ちが湧き起こっている」

「今、言葉にしたいけどできないような何か嫌な気持ちが駆け巡っている」

などなど、自分の負の感情を丁寧に言葉にしていきました。

すると不思議なんです。

自分の中の黒い思いがどんどん無くなっていくんです。

自分の中でうずまく黒い思いを創り出していたのは僕自身であり、

それを増幅させていたのは、その思いを否定し抑圧してきたからだったのです。

もちろんこの未熟者人間は、ことあるごとにいろんな負の感情が湧き起こってきます。

しかし、そんなときこそその思いを自分が大切にし、語るように心がけています。

まとめに入ります。

支援者だって自分の思いを大切にしていいし、思いを語っていい。

相手の話を聴いていると自然に湧き起こる思いに意識を向け言葉にしていく。

その言葉を聞いた相手も、何かしらの思いが湧き起こり言葉にする。

それを聞いてまた自分も影響を受けて思いが湧き起こる。

そうやってその場の人間でポリフォニック(多声的)に紡いでいく言葉が対話だと少しずつ分かるようになってきました。

まだまだお話ししたい対話についての学びがあるのでもうしばらくこの話題にお付き合いください。

次回は「沈黙」についてです。

そして僕の離婚の危機を救った対話について。

最後に「だからイロハニトイロは対話なんだ」のお話で締めくくりたいと考えています。

   イロハニトイロ所長

        金村栄治