vol.44-⑦【対話】「本当の私」の声を失った?
- 2023年05月01日
- 所長の学び
こんにちは。
前回の続きになります。
それではどうして私たちは「本当の心の声」が聞こえにくくなってしまったのでしょうか?
「心の声」とは「本当の私」と言い換えることができると以前お話しさせていただきました。
この「本当の私」がいつから見えなくなったのでしょうか?
私が見ていると思っている私は「本当の私」なのでしょうか?
周囲から認められるため、受け入れられるため、愛されるため、
この社会を生き抜くために装った偽りの私ではないでしょうか?
(この社会を生き抜くためにはそうせざるを得なかったんだと思います。そんな自分を決して責めないでください。むしろ「よく頑張った」とヨシヨシしてあげてください)
それでは、なぜ私たちは「心の声」つまり「本当の自分の声」が聞こえなくなったのでしょうか?
私たちは皆、子どもの頃は「心」中心に生きています。
「あれ欲しい」「あれ買って」「これ食べたくない」「嫌だ!嫌だ!」
心のままに言葉を発し、行動しています。
でも躾(しつけ)や教育で少しずつ、社会性というものを身に付けていきます。
つまり「心」のままに行動するのではなく「頭」で考え周囲と協調するようになっていきます。
もちろん、だからといって「心」が無くなったわけではありません。
ちゃんと「心」の「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」を持って生きています。
でもいつからか、どんどん「頭」優先になっていき、「心」の声は「悪いもの」として扱われていくようになります。
(特に社会に出始めると、様々なルールや価値観に縛られ、その傾向が強まります)
そしていつしか「心」の声が聞こえなくなり、「こうあるべき」「こうしなければならない」を中心に行動するようになっていきます。
そうやって本当の自分を無視し続けた結果、心の病気(体の不調)になるわけですね。
でもですね。
こうやって病気になったりしんどくなった時に私たちは「心の声」を取り戻すんです。
「苦しいよう」
「もうダメ」
「逃げたい」
「死にたい」
「助けて」
「私はこんな風に思っている。感じている。」
そして
自分の本当の思いを大切な人に語ろうとするんです。
(家族や恋人、友人など大切な人には分かって欲しいから)
あるいは医者や支援者に語ろうとするんです。
(どうしたらいいか分からないし、助けて欲しいから)
でも相手から返ってくる言葉は、
「どうやったら病気が治るか」
「どうやったら症状(問題行動)を抑えられるか」
「どうやったら元気になるか」
「どうやったら社会復帰できるか」
という、より良くなるための「正しさ」なんです。
???
前回の話に戻りましょう。
でも「心」は違ったはずです。
「正しさ」とは真逆にあるものでした。
幼稚で、わがままで、弱くて、ゲスいものだったりします。
それを語っても、「正しさ」が返ってくる。
良くなることを求められる。
(それは今の心(本当の私)への否定です)
そうすると、このせっかく顔を出し始めた「心の声(本当の私)」すらも自ら押し込めていくことになります。
なぜなら、本当の心の声は否定されるからです(「正しさ」と逆だから)。
「本当の私」を否定されるって一番傷つくことです。
「やっぱり私は間違っている」
「病気を治さないといけない」
「迷惑かけないようにならないといけない」
「社会復帰しないといけない」
と「~すべき」「~しなければならない」という「頭」優先の生き方にまた戻ってきます。
そして、周囲の人や医者や支援者に
「病気を治したい」
「迷惑かけないようにしたい」
「できることを増やしたい」
「社会復帰したい」
と語るようになります。
(本人もそれが“本当の気持ち”だと信じ込んでいます)
もちろんこれらの言葉は、本当の「心の声」ではない(ウソの心)ので、
体は思うように動いてくれません。
むしろ、心に逆らっているのでさらに症状が悪化します。
(そんな症状も大抵は薬で抑えられてラクになることが多いのですが、心は無視されたままです。目の前の苦しさを誤魔化しているだけ)
こうやって私たちは、本当の心の声を失っていくのです。
ということは、
その声を失わせている犯人は誰なのでしょうか?
そうです!
金村です!
支援者が「支援」と称してその人を良くしようとしていく。
それが「本当の心(=本当の私)」を否定し、
その人の「心の声」を失わせていく。
だから病気や障害を作っているのは、医者や支援者なんだと僕は考えているんです。
ちょっと意味が分かりづらいですかね?
次回少し整理をして、少しずつ「対話」について深めていければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治