イロハニトイロ

vol.44-④【対話】“心”って本当の私?

こんにちは。

前回の続きになります。

「心」はどこにあるのでしょうか?

「心」って何なのでしょうか?

そんなお話を今日はさせていただきたいと思います。

今この瞬間にも私たちは何かを考えています。

「お?金村は何を言おうとしているんだ?」

とか

「え?また意味わからんことを長々と話すのか?」

とか

「心について知ってみたい」

とかとか。

これってどこで考えているのかというともちろん「頭」です。

「仕事行かなきゃ」

「病気治さなきゃ」

「人と上手くやらなきゃ」

私たちは「頭」でいろんなことを考えていますよね。

つまりもっと簡単に言うと、

「~すべき」「~すべきでない」

ということを“理性”を持って考えている。

これが、「頭」の役割です。

じゃあ、「心」はどこにあるんでしょうか?

実は「心」は日々声を発しています。

「~ したーーい」

「~ したくなーーい」

「あれ好きーー!」

「あれ嫌ーーい!」

つまり、簡単に言うと

感情欲求感覚が実は「心」と表現されているものなんです。

「え?!そんなのわかってるけど!」

と思われた方が大半なのではないでしょうか?

それでは、どれだけの人が「心の声」をキャッチできているのでしょうか?

実は多くの人が「心の声」を無視して「頭」で考えてしまっているんですよね。

「~すべき」

「~すべきでない」

「普通は」

「常識的には」

「みんなもしているし、自分もしないと」

「~しなければならない。じゃないと~できないもん」

そんな頭の声に支配されています。

それでは、このような経験はないでしょうか?

「あーーー、仕事(学校)行きたいんだけど体が動かない」

「あーーー、あれやりたいんだけどやる気が出ない」

本人は仕事(学校)に行きたいと思っています。

本当に「やりたい」と思っています

自分の心の「~したい」の声を聞いていると思っています。

でも体は動かない。

やる気が出ない。

不思議ですよね。

これが「心」の声が聴けていないことの証拠になります。

実はですね、「心」と「体」は一心同体なんです。

(え?信じられない?ま、ここは「そういうこと」として話を進めさせてください)

だから「体」に起こることは「心」で起こっていることです。

ということは、この時の本当の心は、

「仕事(学校)行きたくなーーーい。」

「やりたくなーーい。」

です。

でもその声を私たちは聞こうとしないんです。

心の声を聞かずに、ついつい「仕事(学校)行きたいんだけど体が動かない」と考えてしまいます。

(もちろん「仕事行きたくない」と言える人もいます。その人は心の声が聞こえているということですね。素晴らしい!)

つまり心ではなく「頭」で考えているということですね。

「いやいや、そんなことないだろ!」

と思う方は、ちょっと思い出してみてください。

楽しみで楽しみで仕方なかった旅行。

久しぶりに会える大好きな恋人とのデート。

大好きなアイドルのコンサート。

「行きたいんだけど体が動かない」なんてことありました?

むしろ逆!

前日の晩から準備をたくさんしたり、

興奮して眠れなかったりします。

(僕もツーリングの前日は、楽しみ過ぎてほとんど眠れません。寝てないと運転危ないのに)

そして寝不足でも当日は元気よく出かけていくんです。

どれだけ私たちは自分の「心の声」が聞けていないかが分かりますよね。

なぜ聞けていないのか?

その理由はまた今度話させていただくとして、

この「心」ってじゃあ、何なのでしょうか?

僕は、この「心」を「本当の私」だと思っています。

「本当の私」が実は「心」なんです。

「本当の私」を無視し続けて、自分で傷付けて、壊れてしまった時に、

病気が助けに来てくれている、と僕は考えています。

精神病は「このかけがえのない私」が治ろうとする過程なんだと思っています。

日本の精神医療も福祉も、この「(=本当の私)」を表現することが難しい世界になっています。

(だって表現しちゃうと否定されるからです。「それがあなたの問題だ」って。「だから治(直)しましょう」って。)

そのことも後々詳しくお話しさせていただければと思います。

今日は長くなってきたのでこのくらいで終わりたいと思います。

まだまだ説明が不十分ですが、少しずつお話しさせてください。

今後も興味のある方はぜひ読んでいただければ嬉しいです。

          イロハニトイロ所長

               金村栄治