vol.40-② なぜそうしないのか?
- 2022年08月29日
- 所長の学び
前回の続きになります。
前回、就労継続支援B型事業所では「工賃」が重要であるというお話をさせていただきました。
そしてここから現在の取り組みの公開に入ろうと思っていたのですが、
「最初から工賃が重要だと分かっていたけど、そうしなかった」
そして、
「今、工賃が低すぎることで指導が入り、運営の危機にある」
分かっていたのにそうしなかった理由を話しておくべきなのではないか。
そここそがイロハニトイロを知って頂く上でもっとも重要なところなのではないのか。
そう思い、今回はその辺りのお話をさせていただこうと思います。
まず最初にお話ししておかないといけないのは、イロハの成り立ちに関することです。
イロハは、「就労支援施設を作ろう」と思って作ったのではなく、
精神障害の当事者の方々からの思いを出発点にして作った事業所なんです。
つまりどういうことかというと、
支援者がですね、「就労支援施設を作ればもっと誰かの役に立つぞ。障害を持った人でも働ける場所を作って社会に貢献しよう」と思って作ったのではなく、
訪問看護をしている中で、利用者さん(当事者の方々)の思いを聞き、「こんな事業所があればいいのに」という希望を元にして、
「無いなら作りましょうか。」と思って作った場所なんです。
もちろん会社の代表の構想には元からあったようですが、作るきっかけは訪問看護利用者さん(当事者)の声だったんです。
さあ、ここからが本題です。
じゃあ、訪問看護利用者さん達はどんな思いを抱いていたのでしょうか?
(ホームページのあいさつ文にも少し内容は載せています。)
それを知るきっかけになったのは、僕のこんな疑問からです。
訪問看護利用者さんの多くが無職であり、社会とのつながりが乏しく、引きこもりがちな方たちでした。
皆さん、「仕事したい」「社会とつながりたい」とよく言葉にし、働くこと、家から出て活動することを望んでらっしゃるようでした。
ここで、大きな疑問が湧き起こります!
日本の社会ってそんなに冷たいところなの?
本当に働くところって無いの(少ないの)?
???
実はそんなことないんです。
調べてみると、この日本という国には、障害者のための多くの施設が作られています。
国の予算もこの10年で2倍になるくらいにたくさんのお金が使われています。
就労継続支援A型
〃 B型
就労移行支援
生活介護
デイケア
サロン
仕事をしたい人のための事業所も、
そして家からまずは出るだけでいい、という居場所的な事業所もたくさんあるわけです。
そして一般企業は障害者を雇い入れましょう、という法律だってあるし(法定雇用率も引き上げられました)、ハローワークに行けば専門の窓口で対応してくれます。
それだけみればとってもあったかい社会です(そう一見見えるけど…)。
え?どういうこと?
やろうと思えば、たくさん役立つ施設や制度があるじゃん。
なのにどうしてそうしないの?
意味が分からない????
昔の金村であれば、
「結局、怠けたいだけなんじゃないだろうか?」
「やる気の問題じゃないのか?」
「上手くいかない言い訳を言っているだけじゃないのか?」
と思っていたでしょう。
( ↑ 実はこれって支援者側の視点でしか物事を見ていないんですよね。上手くいっている人側の視点と感覚ってきっとこんな感じなんですよね。当事者の実際の視点と支援者側の視点とに大きな差があるんです。だから支援者は良いことをしていると思って、相手を苦しめているんです。)
しかし、自分の見方が間違っていた、
利用者さんの本当の声が聴けていないのは自分が問題だったと気付けた金村は、この時はそんな風には思わなかったんです(ブログvol.38-⑥参照)。
「きっと理由があるはず」「その思いを教えて欲しい」
そう思って詳しく思いを聞かせて頂くことができたんです。
そうやって出てきた思いが、
「結局は、当事者の私たちの気持ちなんて分かってくれていないという“悲しみ”」
と
「また障害者を演じないといけないという“あきらめ”」
のような思いでした。
常に理想からの引き算で考えられていて、頑張れ、頑張れ、もっと良くなれ、そうしないとあなたは不幸だぞ、というような無言のメッセージを当事者の方々は受け取り続けていたんです。
「こんな自分はダメだ。だからもっと良くならなきゃ。」と自分で自分を否定している人の上に、支援者の否定がさらにのしかかってくる。
(もちろん支援者は否定していると思っていません。もしろ何か力になりたいと応援しているつもりです)
助けてくれるはずの社会がさらに自分たちを否定して追い詰めてくる。
だから引きこもるしかない。
分かっていても動けない。
そんな自分を否定してくる不安な場所に行く勇気なんて持てない。
僕からしたら、超目からウロコでした!
そして心の底からその当事者の方々の思いに納得できたのです。
そうなのかぁ、あるようでなかったのかぁ。
場所としてはあるんだけど、実際求める事業所がなくて苦しんでいる人がいるんだなぁ。
(もちろん、自分で望み施設を利用している方々がたくさんいらっしゃることだと思います。それはいいことです。ただそれが苦しいという方々もたくさんいるということです。それならその人たちの為の施設を作ろうと思ったのです。)
これが今の日本の現実なのか。
まずはその事実を受け入れた上で、
それなら、どんな事業所であればいいのかを尋ねてみたんです。
(ここには、金村の「できない言い訳なんじゃないの?」という猜疑心が少しあったような気がしているんです。でも皆さんのお話を聴いているうちにとても納得していくのですが、それはこの後で)
するとこんな言葉が出てきました。
「何もできない私だけど、こんな私をありのままに認めてくれる、そんな場所があれば少しずつ社会に繋がれるかもしれない。」
というものでした。
つまり、こういうことです。
支援施設に行くということは「良くなること」が大前提だと言うんですよね。
だからこそ
「良くなれなかったらどうしよう?」
「今の自分はダメな自分。否定される。」
「また頑張らないといけない。そうしないと認められない。」
そんな思いが湧いてきて、その一歩が踏み出せないというのです。
「えーーーーー、それが普通でしょ?! それが社会でしょ?!どういうこと?!」
がその時の率直な思いだったかもしれません。
でもですね。
失敗を積み重ねたその時の金村には、別の思いが生まれてきたんです。
「あ、ここなんだ。僕は経験していないのに、自分の世界観だけでものごとを決めつけてみている。病気になりひきこもった人の為のものなら、その人たちの意見や考えが大切にされるべきじゃないのか。」
「今、ここから学ばせてもらうしかないんじゃないのか。」
そんな風に思えたのでした。
というところで、長くなってきたので今回は切らせていただきます。
次回は、そんな当事者の方々の思いから、仕事を始めるまでの苦悩をお話しさせていただきます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治