vol.40‐⑤ 大前提が間違っていた!?
- 2022年09月19日
- 所長の学び
こんにちは。
前回の続きになります。
「何も出来ないありのままの私を認めてくれる場所から始めたい」
という利用者さんの願いと
「工賃を上げるためには、利益を生み出す仕事をしてもらわなければならない」
という施設としての課題。
この一見すると相反する課題(矛盾)をどう解決すればいいのか。
前者(利用者側)を完全に大切にするなら、就労支援施設をやめて、生活介護施設やサロンを運営すればいいわけです。
後者(施設側)を完全に大切にするなら、仕事ができる人を集めて利益を生み出すことをさせればいいわけです。
解決はシンプルであり、決してこんなに苦しむ必要なんてない。
でもイロハニトイロというところはこの二つの矛盾から始まる場所なんです。
この矛盾を手放さない!
そしてこの一見相反するように見える二つのものが、両方存在することに意味があるのです。
(それは運営して、悩み考え辿り着き言語化できてきたものでもあります)
それでは、この矛盾を解決するブレイクスルー(突破口)は何だったのか?
私たちの結論は何だったのか?
それを今回はお伝えしたいと思います。
その課題を解決するためのヒントは私たちの中にあったのです。
(「私たち」って「支援者側の私たち」のことです)
いや、「ヒント」ではなく「答え」と言ってもいいかもしれません。
この、問題を生み出している原因に対する答えです。
それは何かというと、
私たちの「当事者の方に向ける偏見や思い込み」です。
(詳細はvol.38-⑦をご参照ください)
私たちは、自分が「支援者」だと思った途端に「支援する者」となってしまいます。
ということは、相手(利用者さん)は「支援される者」となってしまいます。
「支援される者」ということは、何か劣ったものがある者(弱者)という視点が出来上がっていることにお気付きでしょうか。
それは「ダメなところ」「弱いところ」「問題なところ」を見つけ出すという視点を生み出し、
自分(支援者側の個人)の価値観(こうあるべき)のもとで、“その人を良くする” 働きかけになっていきます。
良くする…
良くする…
良くする…
「良くなる」じゃないんですよね。
自分の力で、あるいは自然と「良くなる」じゃないんです。
あくまで「良くする」なんです。
ということは、支援そのものが現在のその人の否定になっているわけです。
「こんな自分はダメだ」と否定して苦しんで病気になった人を、さらに支援が否定していく。
その人をプロの目でちゃんと見ているようで、本当はちゃんと見られていない。
思い込みや偏見のフィルターがかかった状態で見ています。
実はその人の事が全く分かっていない。
「あなたは弱くてダメな問題のある人」という視点で接している。
この支援者側の見方が、その人を「障害者」に作り上げていっているのです。
怠け者に仕立て上げていっているのです。
おかしな人に仕立て上げていっているのです。
当事者の方から出てくる「私たちは障害者を演じないといけない」という言葉は、正にこういうことではないでしょうか。
何を言っているのか分かりませんか?
ここは僕の言葉だけでは説得力がないかもしれないので、
少し文献の力をお借りしましょう。
『ティール組織』(フレデリック・ラルー著・英治出版)
この本の中でも紹介されていますが、
1960年代に当時MITの教授ダグラス・マクレガーが提唱したX理論とY理論というものがあります。
・従業員は本来怠け者で、なるべくなら仕事をサボりたいものだ(X理論)
・労働者は意欲的で、自発的で、自制心を発揮できる(Y理論)
どちらが真実か?
実はどちらも真実なんです。
いや、真実が創り上げられていく、と言う方がいいかもしれません。
X理論を前提に相手を不信の目で見て、命令や規則、罰則で従わせると、従業員は制度を出し抜こうとしていくというのです。
Y理論を前提に信頼を持って接すると、責任感ある態度でその信頼に応えようとするというのです。
これを、私たちが「障害者」と呼んでいる人に置き換えてみてください。
「生徒」や「自分の子供」に置き換えてみてください。
支援者や教師や親の視点(姿勢)が実は問題を生み出しているのです。
『最強チームをつくる方法』(ダニエル・コイル著・かんき出版)
この本からも少し情報をいただきましょう。
サッカーワールドカップを開催するたびに問題になっていたのがフーリガン問題でした。
熱狂的なサッカーファンであるイングランド・サポーターは、ワールドカップの大会期間中、町で事件を度々起こして大きな問題となっていたのです。
そういう人たちを「フーリガン」と呼びます。
事件が起きないよう警察の数を増やし、警察を訓練し、連携体制を整え、防犯カメラを増やし、入国制限をするなどして万全の体制で大会の準備をしました。
結果はどうなったか。
その大会では、1,000人以上のイングランド・サポーターが逮捕されました。
イングランドのチームを大会から追放することも検討されるほど大きな問題となっていたのです。
そして、リヴァプール大学の心理学者、クリフォード・ストットが注目したのは、
警察が人々に向けて送り出すシグナルでした。
警察の行為(暴動をしないように警備を強化すること)が暴動行為を誘発させている、というものです。
この理論を参考にして、ヨーロッパ選手権大会では、これまでのやり方を一新したのです。
それはつまり、
暴動を取り締まらない。
暴動鎮圧用の装備を一切使わない(市民の目につかないようにする)
ということです。
他には、
警察に出場チームやファンについて勉強させる(ファンとちょっとしたサッカー談議ができるように)。
服装もライトブルーのベストに変えました。
ユーモアのセンスのある人を集めて特別部隊を編成したりしました。
つまり前提となる考えを見直したんですよね。
フーリガンも私たちと同じ、とってもサッカーが好きな人たちである、と。
3週間の大会期間中に現地を訪れたサッカーファンは100万人。
結果はどうなったか?
逮捕されたイギリス人(イングランド)はたったの一人だけでした。
暴力事件が起こったのは、警察がヘルメットと盾という従来の装備で警備していた地域だけでした。
このことから何を考えるでしょうか?
それでは有名な哲学者にもお力をお借りしましょう。
「実存主義」で有名な、
ジャン=ポール・サルトル
の言葉です。
「私たち人間の現実的な存在は、私たちがいかなる存在者であるかという規定(あるいは意味)が行われて形成されるわけではなく、まず実存していること(実存は本質に先立つ)」
つまり、言い換えると、
「私たちは、自分がどのような存在の人間なのかを決めている設計図(本質)に基づいて存在するのではなく、存在する中で自分がいかなる存在なのかを決めていく者である」ということです。
例えば、
「お前はウソつきの泥棒野郎だ」と周囲の人間から言われ続けると「自分はそういう人間なんだ」と思い込むようになり、無意識にそういう人間(泥棒や詐欺などの犯罪をする人間)になっていくというのです。
周囲のその人への見方がその人を創っていく。
人は、周囲の自分への評価(求めるもの)を感じながら、自分の存在を創っていく、
ということです。
最後に、僕の好きな心理学者である
アルフレッド・アドラー
の言葉もお借りしましょう。
「人は誰でも自分の為になることを追求して生きている。この自分の為になること、今よりも優れた存在になりたいと思いながら生きていくことを「優越性の追求」と呼ぶ。これは人間の普遍的な欲求である」
そうなんです。
問題に見える出来事は、本当は、
すべて支援者側(自分)が創り出しているんです。
支援者が相手を弱者と見下し、
現在のその人のありのままを否定し、
信頼することもせず、
こちらの価値観に従わせようと、力を使って変えようとする。
まずはこの大前提を変える必要があったのです。
それも頭だけでなく、心から納得のいくものでないと意味がありません。
となると問題は自分の中にしかない。
その事に気付くことが重要でした。
なぜ自分はそんな一方的な支援をしてしまうのか?
なぜそれを正しい支援だと信じ込んでいるのか?
その原因となるものが自分の中にあるはず。
そして、アドラーが言うように誰もが「より良くなりたい」という欲求を持っている。
遺伝子レベルで存在している。
それを阻害しているのが私たち支援者なんだと。
その人の現在のありのままの姿を否定し、勇気をくじかせ、不安を煽り、挑戦することを諦めさせていく。
これを変えるところから始めなければならない。
ああ、今回もお話ししたいところまで行きつきませんでした。
(なぜイロハは就労支援事業所なのか、矛盾を解決するものは何だったのか、何が間違っていたのか。)
長くなってきたので続きは次回に回したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治