vol.38-④ あきらめると見えてきた
- 2022年04月18日
- 所長の学び
こんにちは。
今回は前置きを省かせていただいて、前回の続きをお話しさせていただきます。
「僕自身が病気の体験をしたことで病気の人の苦しさを知ったから変われた」
というお話をしたいわけではございません。
「病気の体験」なんてみんな違うし、病気だけでなく、誰もがそれぞれの苦しみを持っているものです。
自分が病気を体験したからといって、同じように他の人の苦しみを全て分かるはずなんてないですから。
自分が病気で苦しんでいた当時、その苦しみから抜け出せたのが、同僚の方からの「それでいい」というメッセージでした。
ダメで情けなくて弱くて失敗だらけのそんなあなたでもいい。
そんなあなたが好きだし、感謝しているというメッセージでした。
そしてそのメッセージをきっかけに人生で初めてありのままの今の自分を許すことができた。
するとそれまで僕を苦しめていた頭痛と不眠があっという間に解消されたというお話しをさせていただきました。
僕は作業療法士としてずっと頑張ってやってきたわけですから、弱い人、困っている人を助けるのが僕の使命であると考えていました。
つまり「助ける」というのは相手を良くすることです。
目の前の人を「良くする」ことが作業療法士としての、いや支援者としての使命だと心の底から思い込んでいたのです。
いや、それ以外の考えなんて入り込むすき間もないくらいに、そう思い込んでいたのです。
ところが、自分の病気からの回復の経験はどうだったでしょうか?
そうなんです。
全く逆なんです。
「病気を治そう」
「もっと良くなろう」
「もっと頑張ろう」
「そうしないと苦しいままだ」
「どうにかして頑張って抜け出さないと」
と考えていた時は、ラクになるどころかさらに状態や状況は悪化し、ずっと苦しいままでした。
ところが、同僚の方のメッセージをきっかけに、
今のありのままの自分を許し、良くなることを手放した途端、あっという間に苦しみから解放されたのです。
つまり「良くなることあきらめた」ということです。
「あきらめた」
それは人生を投げ出したのとはちょっと違う感覚なんですよね。
後から知った事ですが「あきらめる」という言葉は、
「現在の状態を明ら(あきら)かに認めて(める)次に進もう」という前向きな言葉なんだと知りました。
その言葉通り、本当にそんな感覚なんです。
全てどうにでもなれと「投げ出した」というよりも
自分の苦しみを自分で「手放した」というような感覚です。
ここら辺のニュアンスが難しいですね。
今の状態を否定して良くなろうとするのではなく、
今の状態を明らかにして認めたんです。
自分を癒す力は自分の中にある。
その力を発動させるのは、「あきらめること」なんだとこの時学んだのです。
いや、すみません。
この時はまだ、「学ぶ」には至っていない状態です。
「なんだ!この感覚は?????」
ハテナ? ハテナ?
という不思議さでいっぱいだった気がします。
そうやって、病気から脱した僕はその後どうしたのか。
今の職場に固執することも手放しました。
友人(室長)に分かってもらおうとすることも手放しました。
でも勘違いしないでください。
これまでの職場では「自分のことを分かってくれない。他の職場に移ればきっと分かってもらえるはず」と思って、自分のことを分かってもらう事をあきらめられなくて職場を変わってきたのですが、
今回は、それをやめたのです。
分かってもらう人を求めるために辞めるのではなく、
あるいは、自分が良い人でいたいから頑張るのでもなく、
今の自分のやりたいようにしてみた、
ということです。
以前から別の会社からのお誘いもありましたので、これを機に新しい環境に移ることにしたのです。
「新しい環境」とは、何かというと訪問看護の仕事です。
これまでずっと病院の中での仕事を行ってきましたが、初めて地域に出て精神障害の方々と関わる仕事を始めたのです。
ん?ちょっとお話も退屈になってきましたか?
金村のそんな人生を聞いていても退屈だと思われるかもしれませんね。
でもこのことは書いておきたかったんです。
それはどうしてかというと、苦しい時は、ずっと目の前の苦しさばかりに意識が行ってしまっているんです。
周囲の人の優しさや心配の言葉も自分への批判に聞こえてしまう。
自分は不幸のどん底にいてどうしたらいいのかもわからない。
まさに出口の見えない暗いトンネルの中なんです。
だから、どうやったらその苦しさを取り除くかばかりに必死なんです。
本当は周囲にたくさんの幸せやチャンス、良いことがあるのに、それに気付くことすらもできないんです。
だから余計に苦しくなる。
まさに負のスパイラル。
でも、ありのままの今の自分を許すことができ、あきらめることができたら、世界の見え方が一変するんです。
いや、したんです。
スッっと新しい職場に移れたし、自分がやりたい事にも目を向けられるようになりました。
自分をとりまく大切な人たちの声にも耳を傾けられるし、自分が一人じゃない事も実感できるようになりました。
プライベートでも楽しいことがたくさん増えていったのです。
自分の心が変わるだけで、見える世界は一変する。
そのことも僕の学びの大きな経験だったのです。
つまりつまり、苦しい状態の人に寄り添い、励まし、その人が頑張って苦しみから抜け出すお手伝い(以前の僕のやり方)よりも、
まずはその苦しみを手放すことを支援することの方がよっぽど意味がある。
自分の経験からそのことを学んだのです。
おぉ!ちょっと考え方を一変させるきっかけみたいなのが見えてきましたね。
そうです。ここから少しずつ僕の考えは変わっていくのです。
これまでの真逆とも思える考えに。
ですから僕の新しい人生のスタートは7年前です。
でもでも、前回もお話ししたように僕の考えはそうやすやすと変わりません。
ここから訪問看護の仕事を通して、大きな苦しい出来事がやってくるのです。
その苦しみの先に、現在につながる考え方への大きな“気付き”に出会います。
その話を次回させていただければと思います。
今回もとても長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治