イロハニトイロ

vol.38‐⑥ 大革命!!!!

こんにちは。

前回の続きになります。

どうして、病院の中では上手くいっていた支援方法が、訪問看護という“地域”での支援だと上手くいかなかったのか。

金村の何が悪かったのか。

それを知ることになった大きな出来事について今日はお話しさせていただきます。

「訪問看護」だから上手くいかなかった、

というよりも

これまでしていた支援方法が実は根本から間違っていたという“気付き”です。

病院の中では上手くいっているように、見えていただけ。

実は支援しているつもりが、病気を悪化させ障害者を支援者が創り出していた。

そのことにやっと気付けたということです。

(少し過激な表現かもしれませんが、あえてそう言わせてください。それほどまでに僕の見える世界が一変したのです。)

訪問看護で上手くいかないことについて、きっと昔の金村であればこう思っていた事でしょう。

「上手くいかないのは、利用者さん(患者さん)が悪い。それだけ面倒で大変な人たちなんだ。だって精神障害者だもん。」

「そんな人たちにあきらめず支援している俺って凄い!俺ってかっこいい!」

「こんな凄い僕を誰か認めて。こんなに頑張っているんだから早くあなた、変わって。良くなって。」

(なんか、今思えばとっても嫌な奴ですね。恥ずかしい限りです。でもきっとそれが本音だったと思うので今日は隠さずに公開します。気分悪くされた方、すみません。)

あるいはこんな風に思っていたかもしれません。、

「僕の情熱がまだ足りないの?もっとやり続けていればいつか道は開けるはずだよね。継続は力なり。」

(昔から自己犠牲的な頑張り気質が強くありました。自分を愛してもらうために。これがずっと僕を苦しめていたんです。まだまだ今も抜け切れていないかもですが。)

今の僕なら分かるのですが、実はそれらの考えは全て「いいわけ」なんです。

本当の問題に向き合わないための「いいわけ」です。

本当の問題?

??????

よく分からないですよね。

ではここから、僕に起こった大きな出来事の物語を話させていただきたいと思います。

(個人情報のこともあるので、内容は少し変えてあります)

僕が担当する訪問看護利用者さん達から、暴言や拒否などが生まれていた頃です。

その中でも「Aさん」という、ひときわ僕への態度を悪化させている方がいらっしゃいました。

長い時間かけてご自宅まで行っても不在にしている(故意に?)。

家の中にいるのに呼び鈴を鳴らしても出てこない(居留守?)。

中に入れても、
僕が「最近はいかがですか?」と尋ねれば、

「あなたに言って何か良くなるの?!」と不機嫌そうに答える。

挙句には、血圧や体温を測っている(毎回することです)と、

「お前、これ何の意味でやってるのか分かってんの?」と文句を付けてくる。

もちろんAさんが最初からそんな態度だったわけではありません。

作業療法士として訪問してきた金村に

「こんなことで困っている」「こんなことをしたい」「こんなことを教えて欲しい」「こんなことを助けて欲しい」と話して下さっていました。

僕はその要望に応え続けてきたわけです。

ファイルが1冊まるまるいっぱいになるまでAさんの望む資料を準備してきました。

散らかり放題の部屋を一緒に片付けたり、不用品を処分するお手伝いもしてきました。

体操がしたいと言えば、一緒に体操をし、認知療法をしたいと言えばそれをしてきたのです。

そうやってたくさんの時間と労力をAさんに使ってきたのです。

何度も言います。Aさんの要望に応じて。

それでこの態度!なんなの!!!

(金村には「こんなにやってあげている」という上から目線の思いがこのときはあります)

あまりにも失礼な態度が続き、我慢しきれなくなって、僕はブチギレてしまったのです。(汚い言葉ですみません。)

(金村)
「もういいです、いいです!もうここへは来ませんから。好きにしてください!」

と強い口調で言い放ったのです。

(Aさん)
「まあまあ、金村君そんなこと言わず」

とたじろぐAさんの言葉も振り払い、不満な態度を全面に出しAさんの家を出たのです。

その後、金村はどうしたのか。

まだまだ最低な行動はおさまりません。

話しやすい同僚に電話をし、Aさんの不満をあれやこれやと言いまくるわけです。

自分はどれだけ正しいか、自分はどれだけ頑張ったか、Aさんはどれだけひどい人かを力説し、Aさんを悪に仕立て上げ、自分を癒してくれる味方を増やそうとしたのです。(いやーー、最低も最低。大バカ者です。)

そして、幾分スッキリした中、1時間かけて次の訪問先へ。

その道中、こんな考えが生まれてきます。

「俺何やってるんやろ?」

「相手を良くしたいんじゃなかったの?」

「相手の為にやってたんじゃなかったの?」

「結局相手との関係は悪くなり、相手を苦しめてるやん」

「あぁ、そういえば結局これまでの職場での人間関係も同じじゃないか。問題はやっぱり自分なの?自分がこの状況を作ってるの?」

車の運転をしながら頭の中をぐるぐると考えが巡り巡ります。

そして、

あぁ、このことを所長に説明しないといけない。

「担当を変えて欲しい」と言わないといけない。

きっと怒られるだろうな。

支援者として未熟だ、最低だ、と思われるんだろうな。

はぁーーー。

自分の評価が下がる。

そんな不安まで出てきます。

(まだまだ自分の保身のことばかり考えています。)

そして悩んだ挙句、

次の訪問の前に覚悟を決めて所長に電話をしました。

すると、

所長は何も言わず、僕の話を聴いてくれました。

そして、

「金村君は悪くないよ。担当変わってもいいよ。今まで頑張ってくれてありがとう。」

と言ってくれたのです。

一切責められません。

不満をぶちまけさせてくれた同僚の方も、そして所長も、この職場は誰も僕を責めないんです。

「それでいいよ」とありのままを認めてくれるのです。

・・・。

・・・。

あれ?これは!あの時と一緒!

!!!!!!!!!

そして、やっと僕の決心がつきました。

「よし!謝りに行こう!」

その後の訪問をキャンセルし、また1時間かけてそのAさんのもとへ向かったのです。

玄関のチャイムを鳴らすとすぐに家の中に招き入れてくださいました。

謝罪する僕に対して、Aさんはその事には何も触れず、

「金村君、ちょっと出かけない?」

と、近所の馴染みの喫茶店に連れて行ってくださったのです。

そこで穏やかな口調で僕に語ってくれたのです。

その言葉が僕の大きな“気付き”を生み、考えを一変させるターニングポイントとなったのです。

それは、こんなAさんの言葉です。

「僕たち(精神障害当事者)はね、その金村君の頑張りが苦しいんだよ。」

「金村君の優しさが苦しいの。」

「金村君の正しさが苦しいの。」

「金村君が頑張って僕を変えようとするたびに苦しくなってしまう。」

「変われない自分がどんどん惨めに思えてくる。」

「こんな自分じゃダメなんだって自分を責めて苦しくなる。」

「僕たちはね、この苦しみを分かって欲しいだけなの。」

などなど、初めて本音を語ってくださったのです。

そうです。

僕が正しいと思い込んでやっていたことが、実は相手を苦しめていたんです。

こんなことにずっとずっとずーーーっと気付けなかったんです!

こんな恐ろしいことをずっと僕はやってきたんです。

自分がやっていることは「相手の為だ」「正しいことなんだ」と信じ込んで。

なぜ相手の為と思っての支援が、その人を苦しめることになっていたのか、その解説は次にまわすとして、ここでどうしても分かっておいていただきたいことがあります。

もうお気付きの方もいらっしゃるかもしれません。

それは、

僕が病気になった時と同じ

ということです。

こんな自分はダメだ。変わらなきゃ。もっと良くならなきゃ。

と思っていた時は苦しみが悪化しました。

でも僕の想いを聞いてくれ、正しさを持ち出さず、励ますでもなく、ありのままを認めてくれる経験をし、

初めて心から自分を許すことが出来た時、

病気はさーーっと引いていったはずでした。

「僕(病気)必要ないね。バイバイ。」って感じで。

所長や同僚の方々もそうでした。利用者さんと喧嘩をするような僕を責めることなく、僕の想いに、耳を傾けてくれ「それでいいよ」と言ってくれた。

ありのままを認めてくれた。

だからこそ、僕はAさんに謝りに行くという勇気が持てたのです。

つまり

「自分が変わる」

という勇気が持てたのです。

ちゃんと自分でも経験していたはずなのに。

それなのに。

それなのに。。。

僕は、なんてことを今までしていたんだろう。

この時、やっと、やっと、やっとのことで、覚悟が出来ました。

それは

これまで積み上げてきた知識も経験も捨てる覚悟です。

今まで信じて来たものこそが実は有害だったのではないか。

病気や障害を作っているのは僕たち支援者じゃないのか。

これまで僕が信じてきたもの。それらに疑いを持ち、新しく学び直そう。

そう思いました。

そしてその学ばせてもらう教師は?

そうです。

大切なことを教えてくれたのはAさんでした。

訪問看護利用者の方々から学ぶことにしたのです。

他の利用者さんたちの僕への不満な態度や訪問拒否も実は、僕への大切なメッセージだったのではないか。

僕がその思いをキャッチできる状態になかっただけ。

だって自分がしていることが「正しい」と思い込んでいたから。

その「正しさ」に逆らう人たち(利用者さん)は間違っている人であり、正さなければならない存在になっていたのです。

ここでもう、相手と自分に隔たりを作っていました。

ほら、「障害(隔たり)」を作っていたのはこの僕です。

この僕だったのです。

目の前の人から学ぶ。

ここから本当の学びの旅が始まっていったのです。

当事者の方々からの学びの数々、

そしてその後の訪問看護で起こった、奇跡のような出来事を次回お話しさせていただければと思います。

何度も言いますが、イロハニトイロの考えに至るまでに金村の実体験が大いに影響しています。

つまり、考えの根拠となる体験を次回公開していきたいと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

最後に、

実はAさんはもうこの世にいらっしゃいません。

以前とは変わった今の金村を報告することもできません。

ですが、金村に大きな気付きを与えたくれたAさんに心から感謝しています。

この場を借りて、改めてお礼を言わせていただきます。

「ありがとうございました。これからも新たな学び旅を続けていきたいと思います。」

            イロハニトイロ所長

                 金村栄治