vol.34-③ “支援しようとしない”という支援
- 2021年09月13日
- 所長の学び
こんにちは。
今回でAさんからの学びの話は終わりになります。
第1回はAさんのご紹介。
第2回はAさんの変化のきっかけや思い
について書かせていただきました。
そして最終回の今回は、Aさんの話を聴いて金村が学んだことを書かせていただきます。
金村がAさんのお話しから学んだこと。
それは、
●病気はその人にとって必要なもの。治そうとしてはいけない。
●自らの力で人は変わり成長していく。
●人には人が必要。人が毒にもなり薬にもなる。
●自分が“他人を良くする”ことなんてできない。
●支援しようとしないことは、支援すること。
です。
これらの事は、その苦しみを体験してきた人からしか学べない、貴重な学びだと僕は思っています。
具体的にどういうことを学んだのか。
ぜひ解説を読んでください。
↓
●病気はその人にとって必要なもの。治そうとしてはいけない。
Aさんがおっしゃった「自分で病気を必要としていた」
「現実が上手くいかない理由を病気のせいにできた」
「病気なんだから許してよ」
という言葉の数々。
きっと病気は当時の苦しくて苦しくてどうにもできないAさんにとってとても大切なもので、Aさんを助ける為にやってきたものなんだと思うんです。
なのに精神医療はそこに病名を付けて、
それを悪いものだと決めつけて、勝手にそれを薬で取り去ろうとしています。
薬でないにしても、様々な療法や支援で取り去ろうとしています。
よく考えたらおかしなことに気付かされます。
その人にとっては、大切な病気なんだから、それを治そうとすることは、Aさんの例え話(比喩表現)で出てきた「船底の穴を塞(ふさ)ぐ」ようなものです。
Aさんは言っていました。「勝手に塞がれると、結局自分で他のところに穴を空けてしまう。」って。
Aさんが「不幸な私」を手放したように、そして「自分で自分を愛する」ことを始めたように、
自ら病気を手放せることが重要なんだと思います。
となると、
“病気を治す支援”
をするのではなく、
“病気を必要としなくなる支援”
をすることが重要なんだと僕は学びました。
●自らの力で人は変わり成長していく
Aさんが変わり始めたのは、『フロムに学ぶ愛することの心理学』という本がきっかけだったとお聞きました。
その本を読んで自分を愛することの意味とその方法を学んだAさんです。
しかし何よりも大きな気付きとなったのは
“自分でどうにかできるんだ”
ということだったそうです。(←第2回でこの内容は載せていませんでした。すみません)
つまり、この人生は自分次第なんだと気付けたという事らしいんですよね。
「傷つく事すらも自分で選んで生きている」ことに気付けた人はこんなにも人生を変化させていくのかと本当に驚かされます。
まさに、人生という映画の監督兼主役になったようですね。
「人生を自分の力で創っている」という感じです。
僕はこの「自分の力で」ということに大きなエネルギーが宿るということにAさんのお話を聴いて改めて学びました。
そして、自分で決意した人間は、こんなにも強くなるんだということも学びました。
●人には人が必要。人が毒にもなり薬にもなる。
そして、やっぱりAさんの話を聞いていてつくづく感じさせられるのは、人には人が必要ということです。
多くの人が他人との関係(対人関係)が上手くいかなくて病気になったわけです。
人が怖くて社会に出られなくなったわけです。
つまり、人に傷付けられて苦しんだはずなのに、
その人と交わることを避けて暮らしてもちっとも良くならない。
結局、人を癒すのも人なんだと学びました。
そしてその人とは、Aさんが仰っていたように、
語り合える人、
どんな自分でも“それでいい”と認めてくれる人、
ありのままの自分を見せることのできる安心できる人、
そんな人たちが一番の “薬” になるんだと学びました。
●自分が“他人を良くする”ことなんてできない。
Aさんは、自分で決意して変わり始めました。
金村に借りた本に刺激を受けたのもたまたまです。
その本を読んだ全員が胸に響くわけではありません。
つまり、人の変化なんていつどんなきっかけで起こるか分からないということです。
なのに支援者は、相手を変えよう変えよう、とします。
いやもっと言えば、良くしよう良くしよう、とします。
そしてその“良く”とは、支援者の価値観の元にあるものだったりします。
結局、金村が“他人を良くする”ことなんてできないんですよね。
たまたま、あるいは勝手に、自然とその人が良くなっただけに過ぎない。
そんなことに改めて気づかされました。
僕はそんな大それた人間でもないし、魔法使いでもない。
ただの不完璧な未熟人間。
そしてAさんが仰っていた「船が沈まないように水をかきだし続けてくれた」という例えのように、ただ手の届く範囲で気にかけている、そんな存在でいいんだと思えました。
いや、そうでないといけないんだろうなとも思います。
だって、その人の船ですもの。
僕の船じゃないから。
「水をかきだし続けてくれた」という表現が、何か僕の中での理想の支援者像のヒントになった気がします。
●支援しようとしないことは、支援すること。
ここまで書いたことを集約するとやっぱり「支援しようとしない」ことに繋がると僕は思うわけです。
これは僕の中の話です。
僕の中で、「この人を支援しよう」とした途端、
その人を弱者と見る自分が生まれる気がするんです。
それは障害者であり、欠陥のある人であり、異質なものであり、変えるべき対象であり、価値が低く、悪いものだという概念が生まれてきてしまう、
そんな気がする。
無意識の中にポッと生まれてくる感じです。
そしてその “悪” いものを改 “善” させる正義が支援者であり、
その支援者は正しくて、素晴らしくて、価値がある、
そんな考えに染まる気がしてしまう。
そしてその姿勢が、相手を操作し、自分の支配下に置こうとする行動に繋がっていく。
その考えに基づく行為が、実はその人を自立を妨げている、
その人の成長を妨げている。
そんな気がしてならないのです。
だからこそ「支援しようとしない」ことを大切にしていきたいと僕は改めて思いました。
その人自らが変わることを決意し、行動し、その結果、より幸福になったことをその人が実感する。
そして
「自分の力で自立できた」
「自分の力で幸せになれた」
と思ってもらえる。
それでこそ本当の支援と呼べるのではないかと深く考えさせられました。
今回も長々と金村の想いを書かせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
Aさん、多くの学びをありがとうございました。
そしてイロハの他のメンバー、スタッフの皆さんからも日々大きな学びをいただいています。
本当に皆さんいつもありがとうございます。
イロハニトイロ所長
金村栄治