イロハニトイロ

vol.3 対等の関係って実現できる?

僕は10年以上、精神科病院で勤務してきました。

その中でずっと感じてきた違和感があります。


それは、職員(支援者)と患者との関係です。

「患者様の為に」
「もっと質の良いサービスを」
「接遇をしっかりと」

などなど言っていても、常に感じる、職員が上で、患者が下。
従わせる側と従わされる側。
そんな構図があるような違和感を常に感じていました。

「職員の方が正しくて普通なんだ。だからあなたも考えを改めなさい。」
「こちらの治療方針に従わないなら、出ていけ。他で診てもらえ。」
と言われているかのような感覚(※実際には言われていませんよ)。


実は僕は病院では問題児として扱われていました。


なぜならこんなことを平気でしてしまうからです。


認知症が進んできた車椅子のおじいちゃん。
作業療法室から帰る際に、「妻がそこの通りまで迎えに来ているから行ってくれ」と言うんです。それが妄想だと分かっていても僕は連れて行ってしまうんです。そして納得するまで通りを探して一緒に帰ってくる。
上司からは患者に振り回される奴だとして後で叱られました。

ある時には、
スタッフに恋をした20代の青年。
告白しようかどうしようかと僕に相談をしてきたのです。
振られる可能性が高いことも本人と共有した上で、「想いを伝えることに意味がある」という青年と、どうやって告白しようかと一緒に考えてしまうんです。
そりゃもう、全体ミーティングを開いてこっぴどく叱られました。

またある時には、
猛暑でクーラーのききが悪く、耐えきれずある患者さんがクーラーの温度を下げてくれるように言ってきました。
当然僕は、みんな辛そうにしているから下げてしまうわけです。
でも病院は「〇度まで」とい経費削減のための決まりがあります。
それを平気で破っている僕は、またまた上司から叱られるのです。

きっと言い出したらきりがないくらいたくさんあります。
病院の中では僕がしている事はおかしなことだったんだと思います。

だからそんな僕は病院では問題児の職員になってしまうわけなんです。

先輩や上司の言うことは、確かに正しいと思うんです。
でも、なんだろう。
納得できないこの違和感は。

そんな僕も、今振り返れば知らず知らずにそういう環境に染まり、
患者さんに自分の意見を押し付けたり、時には叱りつけるようなこともするようになっていたことも事実です。



そんな経験もあり、イロハニトイロでは利用者さんと対等の関係を作りたいと思っていました。

頼り頼られ、お互い言いたいことが言える関係。

そんな素敵な理想を抱いて所長として運営を始めました。

最初に僕が決めたことは
「叱らない」
ということです。
他のスタッフにもそれらのことをお話ししました。

「怒る」「叱る」は、上下の関係を作る原因の最たるものだからです。

怒りや権力を用いて相手を従わせる行為ですから。
対等の関係を作るうえで最も害のある行為だと思っています。

対等の関係であるのであれば、しっかりと相手の言葉に耳を傾け、そしてこちらのことも伝えられる。
つまり対話ができればいいと思うんです。
だから「怒る」「叱る」はいらない。

そしてスタッフがスタッフらしくしない。
権威を脱ぎ捨てる。

そんなことを大事にしていました。


見学に来た人や体験をした人たちには「イロハニトイロは雰囲気がいいですね。とっても優しい空気が流れている気がします」なんて言ってもらって、ちょっと嬉しくなったりしていました。


でも、あれ?なんか違うぞ?という違和感が少しずつ表れ始めたのでした。


それは、、、



対等であるわけですから先程も話したように利用者の意見や気持ちを聴く一方で、僕の意見や気持ちも伝えるわけです。

すると、それに傷つく人が出てきたのです。

対等であるからスタッフも自分らしくいる。したいことを大切にする。

すると、構ってくれていない。大事にされていないと寂しさを訴える人が出てきたのです。

あるいはスタッフを見下し、平気でバカにするような人まで出てきました。それが冗談の度を越して、不快に感じるまでになってきたのです。



んん?これって対等と言えるのだろうか?
スタッフが言いたい事言えずに我慢して、傷付けないように傷付けないようにと過度に大切に扱って。
まさしく腫れものを触るような扱いになっていっている。

そしてスタッフが傷ついてもそれが伝えられない関係って本当に対等って言えるの?


こうやって様々な出来事が重なり悩んでいたある時!
僕の中で大きな気付きが生まれました!!!


なるほど!そういうことか!
対等の関係は自分と相手との双方の意識と努力無くしては成り立たないのか!!


それまでは僕は、スタッフが権威を無くし、利用者と対等の目線に立つことを「対等の関係」だと思っていました。
それはこちらの姿勢であって、本当の対等の関係に50%完成しているようなもんなんだと分かりました。
あとの50%は相手の姿勢なんです。


つまり、相手の50%はこちらで操作できない。
相手の傷つきやすさを僕が取り除いてあげることはできない。
相手の人を見下す姿勢を僕が変えることはできない。

だから、僕が出来るのは僕がどのような態度でいるかなんだ。
そしてそれは「対等の関係」が成り立っているのではなく、作っていってる最中なんだ!

そんなことにやっと気付くことができたのです。

だから僕はこれからも「対等な関係」を示し続けます。


相手がどうであろうと。
僕とあなたは価値が対等なんだと示し続けます。

立場や能力の違いはあるし、それは消せない。
でも人間としての価値は対等!
だから時には僕も傷つくし、そのことをちゃんと伝えます。
「僕はこんなことで傷ついたよ。悲しいよ」って。

そして、相手の気持ちもしっかりと受け止めていける自分に成長してきたい。
そんなことを考えるのです。