イロハニトイロ

vol.18 多様性の実現に必要な事!?

新型コロナウイルスの流行により、緊急事態宣言が全国に発出され、イロハニトイロも4/20~5/6まで閉所しています。

日本中が自粛ムードで、多くの方が我慢を重ね、息苦しい毎日を送っていらしゃると思います。

自粛要請に応じない人や営業を続ける店舗を取り締まる「自粛警察」なる言葉もできるくらいに今は、お互いが監視し合い、多様性が認められにくい雰囲気となっています。

この同調性の強さが日本社会の良さでもあり、一方で落ちこぼれや差別を生みやすい原因にもなっています。


コロナのことと「多様性」のことを繋げるのは少し無理があるかもしれませんが、イロハニトイロを運営している上で大切にしている「多様性を認め合う」ということについて、今こんなときだからこそ話したいと思いました。


このブログは、イロハの利用者さんも読んでくださっているようです。
日々イロハで話している事なのですが、改めて整理してお伝えしたいと思います。

大前提として、このような考えが僕にはあります。


もっとありのままの自分を認めてくれ、どんな自分でも受け入れてくれる社会があれば、私たちはこんなに苦しまなくてよかった。

社会の歯車になろうと自分を律しながら必死に頑張ってきた、
あるいは自分の生き方を模索し続けた。

だけど、上手くいかなかった。

だから引きこもった。病気を作った。
これ以上傷つかないために。
大切な私が死なないために。


日本には「村八分」という言葉があります。
これは「仲間外れにされること」ですが、
その語源は、

村の中にある交際が十分(冠・婚礼・出産・病気・建築・水害・年忌・旅行・葬式・火事の消化)あって、
その中の 「葬式」 と 「火事の消火」 以外は付き合わない
つまり、自分たちの害になるような最低限の付き合い以外は嫌いな人と避ける、というところからきています。

つまり昔から、日本は同調性を重んじ、異質なものを遠ざけ排除しようとする悲しい文化があったわけです(文化というより国民性かもしれません)。


イロハニトイロという場所が、自分たちが苦しんだ社会と同じような場所であってはならない。

成果や成長、効率ばかりを追い求め、誰かの都合で作られたルールや常識、正義を押し付ける場所であってはならない。


様々な考えや生き方があっていい、ありのままの自分が認められる場所でなければならない、
つまり多様性を認め合える場所でなければならないと思うのです。

イロハニトイロができるに至ったいきさつも、そんな当事者(訪問看護利用者)の方々の思いからです。


不寛容な社会で傷ついた心を一旦休め、
自分を大事にし、
そしてイロハで新たな生き方見つけ、自分の力で人生を創っていって欲しい、


そんなことを願ってしまうのです!

しかし、この 「多様性を認め合うこと」 こそが実はとっても難しい!

頭じゃわかっちゃいるけど、心が追い付かない!


「あの人にイライラする!」

「なんであんなことするの!」

「もっとこうしてよ!なんで分からないの!」

「あなたがそんなことするから私の仕事が増えるのよ!」

「迷惑をかけないで!」

「あなたには会いたくない!」

こんな思いが作り笑顔の裏でふつふつと湧き上がってきてしまう。

そしてそんなことを思ってしまう自分に「そんなこと思っちゃっダメ」と言い聞かしたり、

「スタッフ何とかしろよ!」とスタッフに腹が立ったり。

「多様性を認め合う」って、言葉以上に難しいものであることは、この2年の運営を通じて実感しています。




今回は、どうしたら多様性を認め合えるようになるのか、
金村(スタッフたち)は何を考えているのか、
そのことをきちんと言葉にして公開したいと思います。



前置きが長くなりました。



ズバリ!結論から!



多様性を認め合える場所を作るためには、スタッフも利用者も関係なく、全ての人がダメになることです。

あなた(私)がもっとダメになることです。

情けなくて、弱くて、失敗もして、間違いもする、辛い時には休んで、人に甘えて迷惑をかける、

そんなことができる自分を経験することです。

そんなありのままの自分の弱さを他の人に見せていくことです。



これって実は、


これまで否定し続けてきた「本当の自分」を許してあげることなんです。

ありのままの自分を認めてあげることなんです。

ありのままの自分を愛してあげることなんです。

自分のことを認めてあげられていないのに、他の人の事を認められるはずなんてないですよね?

この自分を許し愛することが出来なければ「多様性を認め合える場所」は絶対にできないんです。

そして殆どの人が、それが一番したくない事なんです!

難しい事なんです!

良い自分、頑張っている自分しか認めたくないんです。

そういう自分じゃないと価値が無いと思っているんです。



自分を向上させるために頑張る、
もっともっと成長するために頑張るし、
良くなるために頑張る、

それなら分かるけど、

それとは逆で、
ダメになる、下に降りていくなんて到底理解できませんものね。




このことの本当の意味を理解している人は、読むのはここまでで結構です。

ここからは話が長くなりますから。。。



言っていることがよく分からない、という方に人に向けて、詳しく説明していきます。



そもそも、
多様性が認められない、
つまり、自分と相手の違いを認められないのはどうしてだと思いますか?




挨拶しないやつに腹が立つ。

テキパキと仕事しない人に腹が立つ。

仕事中にお喋りばかりの人に腹が立つ。

作業が遅い人に腹が立つ。

片付けをしない人に腹が立つ。

なれなれしい態度に腹が立つ。

スタッフに甘える人に腹が立つ


こんな風に思ってしまうのはどうしてでしょう?

その人を見てあなたと同じように腹が立たない人もいるわけです。
とすればその行為自体が「悪」なわけではないんです。

じゃあ、どうして私は腹が立ってしまうのか。


それは、


あなたがとってもできる素晴らしい人だからなんです!



しっかりと挨拶が出来て、周りの空気を読んで人に気も使えて、作業もテキパキとこなす。
スタッフの指示に従順できちんと結果を残す。

そんな素晴らしい方だからなんです。


自分が「できる」から「できない人」「していない人」に腹が立つんです!

「私はこんなにやっているのに、どうしてあなたはできないの!!!」
「あなたも頑張って同じようにすべきでしょ!!!」



って。


そして人って不思議なんです。
出来ないことが多い時(自分が弱い立場の時)は、他の人に寛容なのに、できることが増えてくると、他の人への不満が出てくるんです。

これも、頑張って自分が出来るようになったから、出来ない人を見るとイライラしてしまうんです。


イロハニトイロが、
明確な厳しいルールを作らないのも
仕事を自主性に任せているのも
メンバーと共に意見交換しながら進んでいるのも
叱ったり怒ったりして行動を操作しないのも
逆に褒めてばかりしないのも

ここに理由があります。


厳しいルールを作って、ルールに従わせて問題が起きないように管理する。

あるいは
スタッフが殆どの事を決めてそれに従わせるように仕事を与えていき、間違った時は叱り、良くできた時には褒める。

こういうことをすると、どんどん多様性を認め合うどころか、頑張って努力し人より勝れば価値がある、そうできない人は落ちこぼれの烙印が押されてしまうようになります。

そんな場所は「多様性」からほど遠いところとなると考えています。



そうではなくて、


頑張って仕事をしたい人は、そうしている(自分がそうしたいから)。

かといって、していない人を批判するでもなく認めている。

仕事をしたくてもできない人、あるいは仕事の重要性が分からず、仕事よりも会話ばかりに夢中になってしまっている人も、その場に居られて共に過ごす事ができます。


そしてそんな中で、頑張って仕事に取り組んでいる他の人を見て、自分もやってみたいと思い自ら動き出すかもしれません(自分がそうしたいから)。

あるいは、頑張って仕事していたけど、しんどくなってきたときに無理し過ぎず、サボったり休む自分も許せる。

ちゃんと安心して休めるから、次頑張れるエネルギーが生まれる。
そして、そんな自分を認めてくれる集団に感謝する。


そんな風に相互に良い影響を与え合えると
本当に有意義でかつ安心できる場ができると思うんです。

それが「多様性を認め合える場」だと考えています。


それでも相手の行動に腹が立ってしまうこともあります。

腹が立っていいんです。


「ごめんなさい。ちょっと仕事に集中できなくて、もうちょっと声を落としてもらえる?」
「ていうか〇〇さんも一緒にやらない?一緒にしてくれると助かるわ。」

って言ってもいいんです。

そんなことしたら喧嘩になる?

仲が悪くなる?

いえいえ、意見(お互いの気持ちや考え)を言い合うだけです。

自分の気持ちを話さないで、相手の考えを聞かないで、

勝手に相手に不快感を抱いて避けているほうがよっぽど関係は悪くなります。

我慢して抱え込むからイライラしてくるんです。
その人が嫌いになってくるんです。



でも、自分の気持ちを言うのには

勇気

がいります。
それは認めます。、

僕も今、これを書きながら
「そんな自分はどれだけ言えているだろう?」
「僕も言う勇気がなくて、我慢してしまっていることよくあるよな。」
なんて思っています。



繰り返します。

じゃあ、どうするのか?



自分を高めようとするのではなく、下りていくんです。

ダメな自分をしっかり出してやるんです。

それも大切な自分。

これまで生きてくる中でずっと否定し続けてきた、
でも大切な本当の自分です。

そんなダメで情けなくて弱い自分を認めて許してやって欲しいんです。





挨拶したくない時はしない。

仕事がしたくない時は、サボってみる。

「話を聴いて」とスタッフを捕まえて、ブラックな自分の心を吐き出してみる。

スタッフを独り占めしてみる。

スタッフに不満をぶつけてみる。

ぺちゃくちゃお喋りして一日過ごしてみる。

家まで送って欲しいと甘えてみる。

理由もないのに休んでみる。

他の人に代わり作業をやってもらって迷惑をかける。

笑顔を作らず一日過ごしてみる。




そんな自分を出してみて、
そしてそんな自分に「いいんだよ」と言って、許してあげて欲しいんです。

これってとっても怖いことですよね。

こんなこと絶対にできないと思いますよね。

だって、
そんなことしたら自分が悪くみられちゃうし、嫌われちゃう。

自分のことだって好きになれない。

どんどん堕落して、今より状況が悪化して、良くない方向に行ってしまう気がする。

そう思いますよね。(いや親や社会にそう思い込まされただけなんですが)



でも、もしこれをすることが出来たら、奇跡が起こります!

人生が変わり始めます!


今まで腹がっ立っていた人の事を「それでもいいよね」と認められることができるようになります。


当然ですよね。

だって自分でもやっているんですから。

そんなダメな自分を認められているんですから。


これが本当の「多様性を認め合える場」を作ることに繋がっていくんです!



そんなこと言われてもまだまだ怖いですよね。


それでは、金村の恥ずかしい過去の話を最後にして終わりたいと思います。


自分を律して必死に頑張って生きてきた金村です。


たくさん勉強して、たくさん傷つかないための鎧(理論武装)を身にまとい、本当は心は不安で傷だらけでも、
「良くならなきゃ」「価値がある人間にならなきゃ」「頑張らなきゃ」と「今の自分」を否定し続け走り続けてきました。


親に「そうしないと人から愛されないよ」という呪いの言葉をかけられて。


そんな僕がどんなことをしていたか。

職場では怠けている人や考えが甘い人にイライラし、
上司には「上司ならこうすべき。こうあるべき。」を押し付け、
後輩には「普通はこうだろう。こうすべきだろう。」という自分の価値観を押し付け、
「正義」や「正しさ」を振りかざして、相手を否定していたのです。

表面上は嫌われたくないから、笑顔を作って。
そして「あなたの為」を印籠のようにかかげて。
自分は正しいことを言っていると思い込んで。

妻にも同様です。
俺はこんなに頑張っている。俺はこんなにしている。
なのに分かってもらえない。俺の扱いが悪い。
妻ならもっと尊重すべき、とこちらの価値観を押し付けいつも否定してきたのです。
妻の思いや頑張りも知ろうとせず。

道端を歩く人にすら
「もっと端を歩け!」
「歩きたばこするな!」
「無断駐車するな!」
と批判だらけ。

テレビを観たら、、、

って、もう言わなくていいですよね。。。


でも実は

一番否定していたのは誰なのか?

本当は、その人たちが悪いわけではなかったんです。








自分が一番否定していたのは、、、




この僕自身なんです。

自分が自分を否定していたんです。


自分の弱さを認められない、ありのままの自分を許せないという自分自身の問題なのに、それを他の人の問題にすり替えて、周りの人を否定し攻撃していたんです。

「僕は真面目にこんなに頑張って生きているんだぞ!なのにお前は出来ていないじゃないか!悪い奴だ!」

「普通はなぁ、、、」

「常識的にはなぁ、、、」

「ほとんどの人がなぁ、、、」

心の中ではこんな言葉ばかりでした。



自分に向き合いたくないから、自分が傷つきたくないから。

悪いのはあの人。

だから僕は苦しんでいるんだ、と被害者面をしていました。


そして、上手くいっている間はいいんです。

でも当然上手くいかないことがたくさん起こります。


そう、特に人間関係において。


遂に僕は眠れなくなり、仕事にも行けなくなるんです。

家でも本音を話せなくなって、どんどん苦しくなっていくんです。


そんな生き方をやめることは勇気がいります。

だから、イロハを利用してくださっている皆さんに
「早く生き方を変えて」
「金村のようになれ」

とは思いません。

それぞれのタイミングがあると思っています。

そのタイミングは、明日かもしれないし、1か月後かも、1年先、
いやいや、10年先かもしれません。


だからこのブログが 「変わらない私を責めている」 というように取って欲しくないんです。
「金村も同じだから大丈夫だよ」って言っていると思って欲しいんです。

「そのままで大丈夫ですからね」
「ありのままの本当の自分を大切にしてくださいね」
「別人に変わることじゃないですからね」
「今の自分にOKを出す事ですからね」

って思っているんです。


だから僕の出来ることは、「多様性を認め合える安心できる場」を作る努力をし続けることだと思っています。



僕が勇気を出して、
自分の弱さをさらけ出し、自分を少しずつ許し認めることができてどうなったか。

もう話すまでもないかもしれません。

人を心から信頼できるようになり、自分の思いや考えを言葉にできるようになり、人から愛されていることを実感し、人に囲まれるようになり、多くの豊かさを手に入れ、毎日幸せに生きられています。
(もちろん嫌なことだってあるし、失敗や間違いもあるし、嫌われることもあるし、怪我だってします。)

そして、


「本当の頑張り」が出来るようになり、自分が成長し、成果を実感できるようになったんです。


実は、
高めようとするのではなく、
下りていくこと、ダメになることが、

成長することにも、強く生きる事にも、成果を出す事にもつながっていくんです。


それは本来の自分を取り戻すということでもあります。



でも決して誤解しないでください。

「頑張らないことが正しい」「怠けることが正しい」「迷惑をかけることが正しい」ということを言っているのでは決してないんです。

自分を否定しながら必死に頑張るのをやめて、
自分の弱さも認めて、主体的で夢中になれる頑張りをしよう!ということです。

その時の感情に支配されて堕落的に生きるのではなくて、
しんどい時の自分をしっかり認め許し、本当にやりたいことに向かって自分を律して生きよう!ということです。

自分のことしか信じられず全ての事を自分でしようとするんではなくて、
人を信頼し、助けてもらいながら「他力」を活かして自分のやりたいことをやっていこう!ということです。


ちゃんと下に降りていって本来の自分を取り戻す事が、
実は、自分の成長にも成功にも幸せにも繋がっていくということなんです。


この世界で一番大事にする人は、自分自身です!

私以上に価値ある存在なんてありません。
私が私の為に生きなくて、誰かが代わりに生きてくれることもありません。

このかけがえのない私を許し、認め、愛せた時、
相手を心から愛することができ、「本当の多様性を認め合える場」が実現すると考えています。

実はそれって周りの大切な人に大きな“愛”を与えているということなんです。

そして“愛”を与えられた人は、自分を大事にできるようになり、また誰かに“愛”を与えていくようになるのです。

そんな“愛”に溢れた社会になることを願っています。



あれ?金村急にどうした?
と疑問を持っている方。
実はこんな本を読んで、「うん。その通り!僕も同じ考えだよ!」って胸が熱くなったので、今回こんなふうに長々と自分の考えを表現しようと思うに至りました。
興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
今日話させていただいたことが詰まっていると思います。

『下手くそやけど なんとか生きてるねん。』 渡邊 洋次郎 著


最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞ皆さまご自愛ください。


イロハニトイロ 所長
金村栄治