イロハニトイロ

Vol.14 このモヤモヤを手放さない

就労支援事業所を始めて2年が経とうとしています。

開始当初、いやその前から抱いていた心の中のモヤモヤが僕の中にはありました。

それがこのひと月でさらに大きくなる出来事が続きました。

何なんだろうこの心の奥で引っかかるモヤモヤしたものは?

そんなことを深く考えるひと月でした。



今回は僕のこの上手く表現できず抱えてきたモヤモヤの正体についての学びを聞いていただきたいと思います。

そしてあなたにも、もし同じモヤモヤがあるのなら、それを共に大事にしていきたい、なんて思うのです。


僕のモヤモヤが強まったのはこんな出来事が重なったからなんです。

(※少し他の事業所さんやご活躍されている方たちを批判するような表現になってしまいますが、決してそうではなく、素直に僕のモヤモヤとしてお伝えしたいと思います。)


最近、作業所を退所される方が増えています。
昨年は4名の方が退所されました。
理由は様々ですが、イロハニトイロから離れたいと思ってのことのようです。

それもこれまで共にこの作業所を作り上げてきた方たちです。
「やっぱり自分の考えは間違っているのか?」
「僕は、皆さんを苦しめているだけなのか?」
「就労支援事業所としての役割を果たせていないのか?」
「叶わない理想を追い求めているだけなのか?」

さまざまな考えが頭を巡り、心が不安になってしまいます。


そんな時、ある友人と10年ぶりに食事に行きました。
その方も精神の病を持ち現在B型の作業所に通っています。

その方に、通っている事業所のお話をお聴きしたのですが、
本当に素敵な事業所さんで、優しくて理解もあって、仕事も素敵で工夫を凝らしたものがたくさん準備されていて、レクなんかも充実しているんです。
その友人も「楽しいところ」「満足している」と本当にイキイキと語ってらっしゃいました。

素晴らしい!凄い!と尊敬する気持ちの奥の方で、なぜかモヤモヤが疼いているのです。

言葉にできないこのモヤモヤ。
何なんだろう?

他には

少し前のことになりますが、障害者虐待防止の研修に参加させていただきました。
障害者への虐待を防止するための知識を学んだり、自分たちの事業所で出来ることは何なのかをグループで話し合います。

施設の利用者が虐待を受けず自分らしく過ごせる環境を作ろうとするその考えに、
素晴らしい!もっともっと意識して取り組んでいかなければと思うのですが、

やっぱり心の奥の方で、モヤモヤが疼いているのです。

施設利用者本人はいいと思っていても、傍から見て酷いと思うことは虐待に当たる。
ということなんかは、さらにこのモヤモヤを強めさせるんです。

本人は「いい」「楽しい」と思っているのに? 何で? ? ? ?


またある農業のイベントに参加させていただいた時も、
農福連携(※農業と福祉を連携させた取り組み)についての取り組みを聞き、

本当に素晴らしいなぁ! この方たち凄いなぁ! 温かい人たちだなぁって思って尊敬するのです。
利用者さんを表彰して、日々の頑張りや成長を称え合い、とても感動するイベントでした。

なのに、なのに僕の中では、心の奥の方でモヤモヤが疼いているのです。


でも言葉にできない。

何だ?何だ?
このモヤモヤは何なんだろう?!


あーーー、言葉にしたい。
でも出来ない!


そんな時はいつも僕は素直に同僚や利用者の方々に聞いて回ります。

こんなことでモヤモヤするんだけど、このモヤモヤは何だと思う?

僕の中のモヤモヤですから
「そんなの知るか?」と言われかねないことですが、皆さん話に付き合ってくださいます。

それはきっとみんなの中にも同じモヤモヤがあるからだと思います。




そんな対話の中で僕のモヤモヤの正体が明らかになってきたのです。



僕のモヤモヤの正体。

それは、

常に存在している、管理する側と管理される側という無言の立場の構築です。

支援される側と支援する側

障害者と健常者

弱者と強者

そんな上下関係、カテゴリー分けを無意識に構築させてしまっていることです。


「あなたを助けたい」と思った時点で、
相手は弱者であり、助けられる者になってしまいます。

「あなたの生活を良くしたい」と思った時点で、
あなたはちゃんとした生活の送れていないダメな人になります。

「あなたを成長させたい」と思った時点で、
今のあなたは弱くてダメな人になります。

そしてそれらのことを相手に思う私は、
そんなあなたを助けられる人、役立つ人、強い人、になってしまいます。


あれ?

あれ?

あれれ?


なんかおかしくありません???

支援している人が、役立つ強い人になっていって、
支援されている人が、助けが必要な弱い人になっていっています。


あれ? 逆じゃない?


ということは僕らが正しいと思いしていることは、
本当は逆の事をしているのかもしれません。

そんなことを考えるのです。



作業所が楽しいと語ってくれた友人、それはきっと嘘ではない。
農業ができる環境の中で生き生きと楽しそうに過ごされている方々、きっとそれも嘘ではない。
障害者を虐待から守ることの大切さ、決して嘘ではない。

きっと全て正しいし愛に溢れているはずなんです!

でもどれもが、「障害者」「弱者」「守られるべき存在」という見方が常にある気がするのです。

それが僕の中のモヤモヤだったんだと分かりました。


「正しいこと」が本当に「正しい」かは分からないのです。
一方の価値観の中での「正しさ」であることに僕らは気付かないといけないのかもしれません。


これらの考えを根底ごと取り去れないだろうか?

もっと誰もが対等で共に生きていくことは出来ないだろうか?

僕もみんなも共に成長していく、共に助け合える、共に本音を言い合える、そんな環境ができないだろうか?


そんなことを考えている時、

たまたまある本に出逢いました。

僕の手元に導かれてきたかのように。


その本の中にこんなことが書かれていたのです。

宮の森カフェのオーナーの加藤愛理子さんのお話しです。

『私が大学で障害者の外出介助をしていた時、行く度に「あなたは私たちの気持ちを全く分かっていない」と怒られるんです。でも返す言葉が見つからない。「障害者は弱い人」という思い込みが私の中にあったことを突き付けられました。』

そして続きます。

『ある日、「“彼ら”という言葉を使ったときから差別が始まる」という文を読んだ時、ハッとしました。 
(中略)
“彼ら”という言葉を使った時から、「障害者」と「健常者」と、世界が二分される。そこに、「強い」「弱い」というような画一化された特性もくっついてきます。』


 
『庭に小さなカフェをつくったら、みんなの居場所になった。』(みやの森カフェ著/ぶどう社)


うん!!

これだ!!

と僕は思いました!

共に過ごし、共に悩み、共に笑っている時には人として対等に生きている実感を持てるのに、何か支援をしようとしたり、「スタッフ」「利用者」などの言葉を使った途端に、関係が遠のく感じがするのです。


うんうん!この違和感なんだと気付きました!

そしてうちの利用者(※この言葉を使わなければいけないのが辛い)さんも同じことを話していたのです。

そしてこれまでの支援者や周囲の人からの無言の見下し、
人として価値が低いかのような扱われ方、
それが「あなたの為」という善意だから、逆らえない。

そんな長年抱えてきた思いを声を震わせながら語ってくれる方もいらっしゃいました。



イロハニトイロはまだまだです。

未熟なところだらけです。

ダメなところだらけです。

工賃だって低いし、そこだけを見れば国の求める就労支援事業所としての役割が果たせいないのかもしれません。

理解されないことも多いだろうし、悲しいですがここを去っていく方もいらっしゃいます。

それでも

それでも

やっぱりこのモヤモヤだけにはウソをつきたくないのです。


もし同じようなモヤモヤを感じている方がいらっしゃるのなら、共に持ち続けませんか?

まだまだこのモヤモヤを解消させるような環境が作れていないのかもしれない。

しかし、この思いの先に本当に大切なものが待っている気がするのです。

共に持ち続けて下さる同志がいてくださるだけで、僕はとても心強いのです。



今年も多くの失敗と悩みがあると思います。

それら全ての事が必要な出来事であり、学びだと信じてこれからも進んでいきたいと思います。


長い文章を最後まで読んで頂きありがとうございます。