イロハニトイロ

vol.12 頑張るスタッフは有害?

スタッフとメンバー

支援者と当事者

健常者と障害者

コレいります?


事業所の事を説明するときに、これらの言葉を使わないといけないんだけど、これに変わる言葉はないものでしょうか?


以前の僕は、
スタッフ(職員)としてメンバー(患者)に何ができるだろうか?

支援者として、専門職(作業療法)のプロとして、病気を持った当事者に何ができるだろうか?

健常者として障害者のことをどれだけ理解できるだろうか?
どれだけ助けてあげることが出来るだろうか?


そんな風に考えていました。



一見すると素晴らしい姿勢の様に見えるんだけど・・・


本当にそうなんでしょうか?


本当に良いことなんでしょうか?


???



これって、言い方を変えると

「精神の病気を持っているあなたは障害者であり、社会的弱者ですよね。でも僕は、社会生活ができている健常者なんです。だからこのあなたより良い立場にいる健常者の私が、弱者のあなたを助けてあげますよ。ほら、嬉しいでしょ?ちゃんと感謝してくださいね。あなたは自分では立ち直れない弱い障害者なんですから。ちゃんとこちらの正解、正しさ、常識に従ってくださいね。」

って聞こえませんか?

悪く言い過ぎかな?


いやもちろん、人を助ける仕事に就く方たちのほとんどが純粋に「誰かの役に立ちたい」という優しい心の持ち主だと思います。

それはとても素晴らしいことだと思います。

でもその思いが、相手を苦しめているのだとしたら?

その優しさが、相手には刃になっていて、いつも傷付け続けているとしたら?



はい!
僕は、こんな支援を長い間続けてきました!

これが正しいことだと信じ、全く疑いもせずに。

もっともっと技術や知識を高めて、障害者に役立つ人間になろうと思っていたわけですね。

今思えば、なんと怖いことか。


本当はこのこと認めたくないんです。
でも、やっぱり僕の中にはそういう気持ちがあったんです。

この考えの危うさに気付き始めた時でもまだ、

「いやいや、そんなはずない。
純粋に患者さんのことを思って自己犠牲的に一生懸命やってきた。
これが嘘偽りなはずない。
認めたくない。」

僕の中でも抵抗する気持ちが大きくありました。


でも、やっぱりこのことを認めないといけないと思うんですよね。


どうしてかって?


だって、自己犠牲的に「相手の為」で頑張ってしまっていましたもん。
常に「あなたの為」と言いながら、自分が役に立てることを探して必死に頑張っていましたもん。


“自己犠牲の相手のため”


これが何よりの証拠です。




は?
何言ってんの?

よく分からないですよね(笑)。


過去の話になります。

訪問看護を始めた時のことです。

利用者さんの自宅に行き、話を聞き、本人の求める支援を必死に頑張っていました。

利用料もいただいているし、専門職というプロの意識もある。

さあ、あなたの為になるように僕は頑張りますよ。どんどん頼ってください。



部屋が汚い?  一緒に掃除をしましょう!

何か趣味を見つけたい?  一緒に何か作業をしましょう!

運動がしたい?  外に出て一緒に散歩や野球をしましょう!

息子の扱いで困っている?  どうやったら息子さんに良い関りが出来るか一緒に考えましょう!

学校に行けない?  学校に戻る方法を一緒に考えましょう!

食事をとるのが怖い?  食事の大切さを学びどうやれば食べられるのか共一緒に考えましょう!






こんな支援のオンパレードです!

1年が経ち、どうなったか?



この方たちの生活は良くなったと思いますか?



いえいえ!



逆です逆!


生活は悪化し、利用者の自己否定は増し、僕への暴言や無視、訪問看護の拒否が出てきたのです。


しまいには横柄でわがままな態度の利用者さんと大喧嘩!
「もうあなたの所には訪問に来ません!!」(金村)


(ここでの濃い濃いエピソードを話したいのですが、話が長くなってしまうのでまたいつか。)


ここでやっと僕の気付きが生まれたのです。


あれ?どういうこと?

待って、待って! 分からなくなってきた!


もしかして

障害者を作っているのは、この僕?

利用者さんを苦しめているのは、この僕?

利用者さんが変わることを妨げているのは、この僕?

僕が、利用者さん達を苦しめ続けていたの?


愛や正義や常識や正しさを持ち出して、
「あなたの為」と言いながら、ありのままのその人を否定し、自分の自尊心を満たす為だけに頑張っていたの?

こんなに自己犠牲的に必死になって頑張っていたのも、全て自分の為で、自分が人からどう見られるか、人から評価されるか、その気持ちを満たすためだったの?



ここから、僕の考えが変わり始めたのでした。

もちろん訪問に行かせていただいていた方々全員にこれまでのことを謝罪しました。


すると利用者さんの本音が出てきたのです。

「本当はずっと苦しかった」って。



とても大きな学びの経験をありがとうございます。
当時の利用者の方々には感謝感謝です!



それ以降、僕は頑張ることをやめたんです。

利用者さんの役に立とうとすることをやめたんです。

利用者さんを変えようとすることをやめたんです。

逆に利用者さんのどんな状態もありのままに認め、僕の方が甘え助けてもらうことにしたんです。

(ここも具体的に何をしたのか話したいのですが長くなるので、いつかまた)




するとどうなったのか?



どんどん利用者さんが変わっていったのです!

穏やかになり、関係が良くなり、訪問回数の増加を希望するようになりました。



自分で部屋を掃除するようになり、

学校やアルバイトを始めるようになり、

悩みを解決するようになり

一人暮らしを始めるようになり

食事をちゃんと摂るようになり

好きな事を見つけるようになり


どんどん、自ら人生を変えていったのです。

そしていつも僕を気遣い助けてくれて、感謝感謝で僕も幸せで、訪問が楽しくなったのです。


不思議ですよね。


スタッフが頑張れば頑張るほど利用者さんを苦しめる。

スタッフが役立つ人間になればなるほど、利用者さんの活躍の場を奪っている。

それなら、もっともっとスタッフは、ダメで情けなくて失敗ばかりで怠けていてドジで、そして笑っている、そんな存在にならないといけないと思うんです。

もっと役立たずな人間に!



でも、根が不安症で頑張り過ぎてしまう僕です。

今でもついつい仕事をたくさん抱えてせかせかと余裕なく過ごしてしまうことがあります。


そんな時、イロハの利用者さんは「話をしましょう」と呼び出してくれるんです。

そして
「金村が忙しそうにしていたら私はもっとしんどくなる」

って教えて下さるんです。ちゃんと叱ってくださるんです。


あーー、また頑張り過ぎちゃってたー。

また利用者さんを苦しめていたー。

って反省しながら、それと同時にとっても気持ちが楽になるのを感じるんです。

「言ってくれてありがとう。」「止めてくれてありがとう。」って。



だから僕は毎日、だらしなく過ごす事を頑張っています(笑)

意外とこれが難しいんですよね。

日々お稽古です。


今日は、どれだけダメな金村を皆さんに見せれるだろう?

今日は、どれだけみんなに「助けて」と甘えられるだろう?