vol.11 「自愛」って何???
- 2019年11月22日
- 所長の学び
突然すみません。
いきなり「自愛」と言われても、何だろうかと思いますね。
今回は僕が所長をしていく上で最も大切にしていることをお話しさせてください。
どれだけの方がこの「自愛」という言葉をご存知でしょうか?
「自己愛」じゃないです。 「自愛」です。
実は大抵の大人は知っているんです。
え?!何?!
皆さん一度は聞いたことがある、あるいは使ったことがあるのではないでしょうか。
「どうぞご自愛ください」
なんて言葉をメールや手紙などの最後によく使います。
でもどれだけの方が、この「自愛」の意味を知っているのでしょうか?
きっと大抵の方は知らないのではないでしょうか。
僕も知らずに生きてきました。
僕がイロハニトイロで大切にしていること、メンバーの方々に願っていること、
それは
それぞれの方たちが、
この “「自愛」を育んで欲しい” ということです。
なぜかというと、僕の人生の中での一番大きな学びだったからです。
そして
その学びのお陰で僕の人生がガラリと変わったからです。
それも、とっても幸せな方向に。
今回はイロハでの経験からの学びではなく、
僕自身のこれまでの人生の経験からの学びをご紹介させていただきます。
僕は、小さな頃から聞き分けのよい手のかからない良い子でした。
学校の成績も良く、小学校のテストは90点以上が普通。中学校も成績は良い方でした。
サッカーもしていたし運動も出来て、友達もそれなりにいました。
傍から見たら、問題を起こさないとっても良い子に映っていたんでしょうね。
それじゃあ、僕自身は自分のことをどのように思っていたのかというと…
大嫌いだったんです。
人から嫌われているとも思っていました。
いや、正確には人から嫌われないかとビクビクしていました。
何か嫌な事を言われると「嫌われている」とすぐに思ってその人を避けていました。
飛びぬけて成績が良いわけでもなく、サッカーが上手いわけでもなく、何か特別な才能があるわけでもなく、
かといって、良い子だから、あまり親に構われることもなく、聞き分けのいい子だから嫌な事をよく押し付けられたくさんの我慢を強いられてきました。
それが愛されるための方法なんだと思い込んでいた、そんな子供時代でした。
(と、本人は思っていますが、今振り返ると、本心は見せないし、嫌なことがあると拗ねて喋らなくなったり姿を消したりするし、他の人たちの輪に入りづらくてみんなと違う行動をしたりと面倒な子供だったようにも思います。。。)
大人になり恋愛もそれなりにするのですが、
いっぱい相手に尽くしながらも、一方で相手が自分のことを大事にしていないような様子が見えるとすぐに別れてしまうんです。
ここでいう「大事にしていない」というのは「自分のこと分かってくれていない」という、
自分のダメなところを彼女が受け入れてくれないような言動があるときです。
仕事においても、人一倍頑張って働くのに、いつも上手くいかず、上司ともめたりなんかして、結局6個も職場を変わってきました。
必死になって、他の人以上に頑張って仕事をしても上司に認めてもらえない。
自分の意見を言っても受け入れてもらえない。
僕のことを分かってくれない。大事にしてくれていない。
そんな風に感じて、どんどん仕事を変わっていたのです。
これ全て、
強い“自己愛”
が原因だったんです。 ※「自愛」ではなく「自己愛」です。
いやいや、「自己愛を満たしたい」という気持ちが強かったと言う方が正確でしょう。
きっと僕が医療福祉の道を選んだのも、
自分を必要とされて、感謝されて、自己愛を満たしたいという無意識な力が働いていたのではないかと、今振り返るとは思っています。
そうです!
そうなんです!
皆さんがよく知っている「自己愛」って何かというと
他人に評価されることで得られる自分への愛情なんです。
「自己愛の強さ」って、言い換えれば、
「自分を認めて! 認めて! ねぇちゃんと認めてよ!」
っていう承認欲求の強さのことなんです。
だから認められていないと感じると苦しくなるんです。
頑張っていても上手くいかないと苦しくなるんです。
そして常に「良い子」「良い人」でいなければと、偽りの自分を演じ続けなければならなくなってしまうんです。
そして、
そして、
良い自分しか認められないと思っているわけですから、常に頑張り続けなければならないんです。
でも、
でも、
不思議なのが、頑張っても必ずしも周囲から認められるわけではないんですよね。
いやむしろ、必死に頑張っている方が認められないことが多かったりするんです。
それは、実は周りにたくさんの害を与えているからなんですが、必死に頑張っている本人はそんなこと気付きもしないんです。
そして“必死”に頑張るわけですから、その「必ず死ぬ」の言葉の通り、僕は「死ぬ」時が来たのです。
僕が仕事が上手くいかないのは、僕を理解しようとしない上司が悪い。
良い上司に出逢えていないからなんだ、と思い込んでいたので、
プライベートでも親交が深く、気心も知れている友人が上司の会社に転職しました。
でもそこでも結局同じ結果になったのです。
とっても大切だと思い信頼していた友人(上司)から、否定され、批判され、拒否され、ついに僕は心が死ぬことになったのです。
(あ、これ、この友人が悪いんのではありませんから。僕に問題があっただけですから)
眠れない日々、
治まらない頭痛、
周囲から理解されないという苦しさ。
子どももいる。
頑張らなくちゃ。
頑張らなくちゃ。
乗り越えなきゃ。
思えば思うほど、状態は悪化していきます。
上司との関係を改善しようと思っても結局空回りして状況はさらに悪くなっていきます。
僕の人生の最大の学びは、こんな絶望の中でやってきたのです。
いや、絶望を感じられたからこそ気付けたのかもしれません。
こんな絶望感の中、ある人からメールでこんな言葉をいただきました。
「そんなあなたでいい。」
「むしろ、そんなあなただからいい。」
というようなものでした。
僕の全てをありのままに認めてくれるような、その言葉をいただいた時に僕は、フッとある考えが頭の中に浮かんできたんです。
「こんなダメな自分でもいいんだ」
「自分勝手で人に迷惑をかけるこんな自分でもいいんだ」
その瞬間からサ――ッと波が引くように頭痛が無くなり、夜も眠れるようになったのです。
その日を境に僕の人生が変わり始めたのです。
「自己愛」から「自愛」に切り替わったのです。
そして今では、作業所の所長をさせていただき、日々いろんな方に助けてもらいながら楽しい毎日を送っています。
素敵な上司や同僚に囲まれて。
はい。
そうなんです。
「自愛」が人を幸せに導くんです。
「自愛」が自分の人生を自分らしく楽しく生きる原動力になるんです。
「自愛」が本当の他者への愛を生んでいくんです。
それでは、その「自愛」とは何なのか?
「自己愛」と「自愛」の違いは何なのか?
この二つの大きな違いは何なのか?
もう少しお付き合いください。
僕のエピソードからも分かると思いますが、
「自己愛」は
他人の評価の上で成り立つ自分への愛情です。
それは、評価されるために良い人を演じ、必死に頑張った先にある自分への愛情です。
つまり “ウソの自分を愛する” ということです。
一方で
「自愛」とは
ダメな自分も含めたこのありのままの自分を愛するということです。
それは、他人は関係ありません。自分がありのままの自分を許し、認められるかということです。
つまり “ホントの自分を愛する” ということです。
世間では時折「自己肯定感を育てよう」という言葉が出てくることがあります。
しかし、これも「自己愛」と同じことを言っていることが多いんです。
頑張って成功して、出来ることを増やして、他者から認められて、自分を肯定できるようになろう!
と言っていることが多いです。
本当の「自己肯定感」は違います。
「自愛」と同じです。
ダメな自分も含めた、こんな自分でもいいんだと認め、肯定できることが本当の「自己肯定感」です!
さらに言うと「自信」という言葉も同じです。
何かが出来るようになって自信を持つ
のではなく
このありのあままの自分でも大丈夫だと思えることが自信であり、
そんな自信があるから、様々な事に取り組めるようになり、自分の能力が上がっていくのです。
こんなことに気付かせてくれた、僕の大きな大きな学びの体験でした。
その学びが今でもイロハニトイロの支援の中心の中心にあります。
だから僕たちは、「自愛を育てる」ということを支援しているんです。
そして、この「自分を許し認めること(自愛を育てる)」はとっても難しいことのようです。
イロハニトイロを利用してくださっている皆さん、このことでもがき苦しんでいます。
いや、利用者さんだけじゃないです。スタッフも同じです。
苦しんでいるけど、なんか気持ちよくもあります。
自分を大事にするってきっと、本当の自分に戻ることだし気持ちがいいことなんでしょうね。
「自愛」を育てる。
そんなことを意識して今日からあなたも生きてみませんか?