vol.21 我慢せず、ワガママで、他人に迷惑をかける! それがいい!
- 2020年09月09日
- 所長の学び
こんにちは。
vol.20 を読んでくださった方、ありがとうございます。
その中で、
「ワガママはなぜいいのか?」
「本当に迷惑をかけてもいいのか?」
「本当に我慢はいいことなのか?」
というお話をさせていただいて、きちんと説明せずに終わりました。
この多くの誤解を生みやすい内容について、今回はじっくりと説明させていただきたいと思います。
もちろん!
「ワガママ?」
良くないことでしょう!
傍若無人に振るまって好き放題したらみんなから嫌われてしまいます。
協調性のない自己中で嫌な奴になって、孤立してしまいます。
「迷惑?」
掛けられたら困るでしょう!
迷惑ばかりを掛けるような奴は嫌がられて、避けられて、孤立してしまいます。
「我慢?」
するべきでしょう!
好きな時に好きなことして、好きなものを好きなだけ食べて、したくないことは全くしなくて、自由気まま、本能のままに生きていたら、怠け者のダメな奴になってしまいます。
うんうん。
これが親から、先生から、社会から教えられてきたことですよね。
でもちょっと待っていただけませんか!
本当にそうなんでしょうか?
「ワガママ」に
「迷惑」に
「我慢」に
種類があるとしたらどうでしょう?
他の意味があるとしたらどうでしょう?
そして、これまで教えられなかったそのことが、実は自分の幸せにつながるものだとしたら?
実は幸せそうなあの人はそのことを知っていて自分が知らないだけだとしたら?
知りたくないでしょうか?
今日はそのことをなるべく誤解を与えないように説明させていただきたいのです。
もちろん僕の言葉なので、上手く伝えられるかは分かりませんが。
では、では。
早速ですが、
vol.20 で言っている「ワガママ」とは、
傍若無人に振るまうことではありません。
※傍若無人:人前をはばからず勝手気ままに振るまうこと(ネット調べ)
これは「自分の気持ちを大事にする」ということです。
つまり、したいことを「したい」と言い、したくないことを「したくない」と言うことです。
嫌な事を「嫌だ」と言い、嬉しいことを「嬉しい」と言うことです。
欲しいものを「欲しい」と言い、欲しくないものを「いらない」と言うことです。
して欲しいことを「して欲しい」とお願いし、して欲しくないことを「やめて」と拒否することです。
この唯一無二のかけがえのない私の気持ちを、私自身が大事にして表現することなんです。
もちろん、相手には相手の心があるし、事情もあります。
必ずこちらの思いどおりに答えてくれるとは限りません。
「それはできないわ。」
「そんなこと言われても困る。」
「やめて。」「嫌だ。」
と返されるかもしれません。
それは仕方がないことです。
それが現実です。
でも、でも、それでいいんです!
大事なのは、「自分の気持ちを言えた!」「自分の気持ちに従って行動した!」ってことなんです。
あなたはいかがでしょうか?
自分の気持ちをいつもグッと押し殺して生きていませんか?
「これは相手の為。みんなの為」という、もっともらしい理由を付けながら。
実は、自分の気持ちを言って拒否されて、自分が傷つくのが怖いだけなのに(あ、これは突っ込まれたくないことですね)。
はい、そうなんです!
ワガママとは最高の「自分を大事にすること」なんです!
そして「迷惑」ですが、
ここで言う迷惑は、相手のことを考えずに好き勝手して迷惑をかけることとは違います。
人に頼るということです。
「迷惑」には「良い迷惑」と「悪い迷惑」があります。
「悪い迷惑」とは、例えば、
自宅のアパートに友人をたくさん呼んで夜中まで大騒ぎする、とか
寄りたい店があったから、店の前に車を停めて道をふさいだ、とかとか。
つまり「悪い迷惑」とは、自分の勝手な都合で、相手の事は一切配慮せず一方的に害を与える行為です。
一方で「良い迷惑」とは、
仕事が大変だから助けて欲しいと同僚に頼んだ。すると同僚は残業して仕事を手伝ってくれた、とか。
外で急に体がしんどくなり動けなくなったから、近くの人に助けを求めたら、病院まで送ってくれた、とかとか。
つまり、「良い迷惑」とは、こちらのお願いによりかける迷惑のことです。
どうしてそれが「良い迷惑」かというと、迷惑を掛けられた人が嬉しくなるからです。
表面上は「しゃーないなぁ」なんて、少し面倒そうに言っていても、実は嬉しいのです。
きっとあなたも、誰かにお願いをして、それに応えてもらえると「ありがとう」と感謝の言葉を伝えると思います。
感謝されるって「自分はこの人に貢献したんだ」という、自分の存在価値を高めてくれる最高の報酬です。
お金より価値がある、と僕は思っています。
そんな迷惑の掛け方って素敵だと思いませんか?
「人に迷惑を掛けないようにしよう」って、いつも自分で全てやろうとしたり、他者の差し伸べる手も平気で振り払うような人は、実は周りにたくさん「悪い迷惑」を掛けているかもしれませんよ。
僕たちは生きているだけで、誰かに迷惑を掛けています。
どうせ迷惑を掛けているのなら「良い迷惑」を掛けませんか?
誰かに迷惑を掛けている一方で、
僕たちは生きているだけで、誰かの役にも立っていることも知っておいてください。
だからしっかり迷惑かけてもいいんです。
そして最後に「我慢」ですが、
ここでいう我慢は、「自分を否定する我慢」はやめよう、ということです。
「我慢しない自分はダメだ。」
「我慢しないと愛されない。」
「何事も我慢だ。我慢をした者だけが報酬を受け取る権利がある。」
みたいな感覚で我慢を常に自分に強いている方がいらっしゃるのではないでしょうか?
あ、これ、昔の僕でした(笑)
我慢しないで、好きなこと、したいことをするんです。
すると不思議なんですよね。
我慢しないといけないことが必ず出てくるんです。
それが本当の我慢なんです。
例えば、こんなことです。
僕は「自分の本当に好きな事をしよう」と、20年ぶりにバイクに乗り始めたのですが、そうすると、いろいろとお金が必要になってくるんです。
欲しいパーツがあったりするんです。
するとお金を貯めるために、これまで買っていたものを我慢したりします。
バイクを直してもらうために、友人の友人にお願いしたりするのですが、こちらが我慢して相手の都合に合わせなければなりません。
ツーリングに行くためには、妻と予定を話し合って、他のしたいことを我慢したり、知らない人がツーリングに参加することも我慢します。
もう、たくさんの我慢が自然と生まれてくるわけです。
でも辛くはない。苦しくはない。
だって、好きな事をしている中の我慢だからです。
つまり、「我慢をすることが正しい」のではなくて、
「好きなことをしていたらいっぱい我慢すること出てくるよ。」
「我慢は自然と生まれるから、そのときすればいいんだよ。」ってことです。
いかがでしょうか?
ご理解いただけたでしょうか?
まだまだ説明不足なところもあるかもしれません。
そこは単純に僕の未熟さです。
そして最後の最後に
日本人の美徳とする「謙虚さ」ですが、
それって、しっかりと我慢が出来て、ワガママ言わず、人に迷惑を掛けない人がする作法のようなイメージがありますが、これ違いますからね。
しっかりとワガママが言えて、人を頼れて、自分の気持ちを大事にして、自分を愛してあげられている人に自然と身に付くものだと僕は考えています。
だって自分を大事にしているんだから、相手に求めなくていいわけです。
「私を認めて―!」って主張しなくていいわけです。
自分が自分を認めてあげられている。
だからいつも自然と謙虚でいられるんです。
そんなこと言っている僕は、きっとまだまだなんだろうなぁ。
「僕の話を聞いて聞いて」がこのブログに表れてるなぁ(笑)
イロハニトイロ所長 金村栄治