vol.49-63 支援者が障害を作っている?!

支援しないという支援(8)
前回の続きです
“自主性”と“主体性”の違いについて少し説明させていただきます
「支援しない支援」
もっと明確な表現を使うと
「支援しようとしない支援」
によってイロハは何をしているのかというと
利用者さんの“主体性”を育んでいるのです
そしてその“主体性”こそが“自立”につながることであり
この社会の中で自分の人生を幸福で生きやすくするものであり
しいては心の病を必要としない生き方につながるものだと考えています
そして多くの支援でやっていること(昔の金村がやってきたこと)は、
“主体性”ではなく“自主性”を育てることになっていたと思うのです
これは支援だけでなく、子育てや教育(学校)においても同じことがいえると思います
子育てでも教育でも目指す所は、“自立”です
それでは、この一見すると同じ意味のように思えてしまう“自主性”と“主体性”の違いについて説明させていただきたいと思います
“自主性”というのは、
誰かに言われる前に自ら動くということです
家では自主的に宿題ができたら良い子となります
自主的にお手伝いが出来たら良い子となります
親に言われる前に動けたら良い子です
学校では自主的に掃除ができる、準備ができる、係の役割を遂行するなどなど
教師に指導される前に自分で動けたら良い生徒です
これって、この子供は何を考えていると思いますか?
親や教師に言われる前に動くのが自主性
親や教師に叱られないように自ら動くのが自主性
そうだとしたら、
全ての行動につながる思考は、親や先生の意向(考え)を汲んでのものとなります
つまり親や教師に従って生きること、が生きる目的となってしまいます
そしてその時の思考は、親や教師がどう考えているか、みんなどうしているか、
みんなと同じようにできているか
そんな思考の中で生きていくこととなります
嫌~~な言い方をすると人に支配された生き方です
一方で“主体性”は全く逆です
自分が主体となるわけですから、
人と意見が違っていていいし、“自分がどうしたいのか”を大切にします
常にスタートが自分なんです
自分がどうしたいか、自分がどうありたいか、
そのためには自分はどうするのか、
違いのある相手とどのようにやっていくのか、
それが主体性です
となると親の意見に背くかもしれないし、教師に反発することもあるでしょう
たくさん失敗や過ちを犯すことだと思うし、どんな生き方もOKとすることです
ということは以前にもお話した「愚行権(ぐこうけん)」を認めることにもつながります
むしろ愚行権こそ、まさに主体性を育むこととなります
イロハニトイロでは常に
あなた(私)はどうしたいのか?
あなた(私)はどう思っているのか?
これからどうするのか?
ばかりです
だからたくさんトラブルがあるし、間違いや失敗もあります
それが、利用者さん達の主体性を育んでいると考えています
イロハに見学に来られると気付きます
どの人がスタッフなのか分からない💦
僕なんかより優秀で頼りになるメンバーさんばかりです
仕事もメンバーが中心になって進めています
ぜひ見学にいらしてその様子をその目で見てください
そして「支援しようとしない支援」がどうして主体性を育むことに繋がるのか
もう一つの大切な要素もお伝えしておきたいと思います
ですが、今回も長くなってきたので次回に話させていただければと思います
その要素がおそらく他の事業所にはないイロハニトイロの特徴の一つではないかと思っています
イロハニトイロ所長
金村栄治