vol.49-57 支援者が障害を作っている?!

支援しないという支援(2)
前回の続きです
支援しようとしないと患者さんは困る
「困る」という痛み(マイナス)を受け取って、本人がどうにかしようと動きプラスに転じていく
でも
「それが出来ない人たちなんだから支援者が必要なんだ!」
「何もしないのなら支援者はいらないのではないか!」
と思うのではないか
というところまでお話させていただきました
ここにとても重要なことが隠れているのにお気づきでしょうか?
僕はずっとそのことに気付けずにいたんです
そのことに気付けていないから、
あなたの為に頑張って支援します
という姿勢で頑張って頑張って
そしてそんな自分が相手を苦しめていることにも気づけず、
それでも良くならないのは「あなたの問題」としてきていたのです
それが何かというとですね
「それができない人たちなんだ」
という相手を見る私の目です
もうハナから目の前の患者さんを
問題を抱えた人
弱い人
劣った人
と無意識に見てしまっているということです
もっと違う意識もあったかもしれません
リストカットなどの自傷行為をしたり
誰かに危害を加えたりと
迷惑をかける人
面倒な人
そんな言葉にするのも恥ずかしいようなことも無意識に思っていたかもしれません
だから支援者が修正していく
悪くならないようにする
こんな上下の関係に自然と陥ってしまっていると思うのです
それはスタート、
つまりこちらの視座(物事をみる立場)が相手を見下したもの
異質なものを見るもの
になっているからだと思うんです
でもそんなのはとっても嫌な奴ですから
そんな嫌な奴に見られたくないし
嫌われたくないですから
とっても優しくて一生懸命な支援者を演じていたのです
少なくともこの僕は
ほら、僕ってあなたにこんなに寄り添っています
あなたを助けたいです
あなたの役に立ちたいです
以前にも話しましたが、
この姿勢の裏には相手への見下しや「自分の為」がいつもあったのです
ここを多くの支援者が誤魔化しています
(もちろんこの僕も)
気付いていません
いや
ホントは気付かないようにしているだけかもしれません
あ、支援しないという支援というお話から少し遠ざかってきたので話を戻します
今日は「X理論Y理論」についてお話したかったのですが、長くなってきたので次回にさせていただければと思います
最後までお読みいただきありがとうございました
イロハニトイロ所長
金村栄治