vol.46-③【勘違い】頑張るのをやめる(後編)
- 2023年09月03日
- 所長の学び
これまで、何度かブログでもお話してきたことがあるように頑張りには2種類あります。
知っている方は、ここはおさらい程度で聞いていてください。
病気になるまで頑張り続けてきた人。
こんなに頑張っているのにどうしてうまくいかないの、と嘆いている人。
そう!まさに昔の金村です。
そういった人は
「“必死”の頑張り」
をしてきた人です。
必死に頑張ることが良いことだと思い込んでいる人です。
いや、「必死に頑張らなければならない」と思い込んでいる人です。
それではこの「必ず死ぬ」と書く「“必死”に頑張る」とはどういうことかを説明します。
必死に頑張るとは、
「こんな自分はダメだ」と現在の自分を否定しながら頑張る行為なんです。
現在の自分を否定するということは別の理想(こうあるべき)があるということですよね?
その理想の原因となる思いが
「私は、みんなみたいにできていない」
「あの人に負けている」
「あの人に認められたい」
「あの人に愛してほしい」
という他者が基準になっていることが多いです。
ということは、必死の頑張りが報われるときって、他者に勝ったり、他者から認められる時しかないんですよね。
もし誰かに勝ったり、褒めてもらったりしたとしても、
他者はたくさんいるわけですから、また新しい比較が生まれてきて、ずっと必死の頑張りを続けていくことになってしまいます。
あるいは、こんなに必死になって頑張っているのに、人から批判されたり否定されることだってあるんです。
「もうっ!!!なんでよーーーーーー!!!」って叫びたくなります。
ここも他者は無数にいるから仕方ないんですけどね。
でも必死に頑張っていると、そんな冷静になんて考えられません。
こんな風に必死に頑張っているのに頑張りが報われず、
報われたとしても一時だけで、
常に自分を否定しながら頑張り続けたらそりゃいつか「必ず死ぬ」わな(笑)
そしてもう一つの頑張りが、
現在の自分を認めたの上での頑張り
です。
(「あきらめる」をした上での頑張り、ともいえるかもしれませんね。本当の頑張りすらも「あきらめる(自己受容)」ことから始まるんです)
それってどういうことかというと、
「できない自分」を認めたうえで
「もっとこうなりたい」と自分の理想に向かって頑張ることです。
これを「“夢中”の頑張り」と言います。
「夢中の頑張り」ってちょっとよく分からないですよね。
でも多くの人が経験しています。
例を出すなら、
好きなゲームを夢中になってやっていたり、好きな絵を夢中になって描いている感じでしょうか。
夢中になっているときって、とってもエネルギー使っていると思いません?
だって徹夜でやったりするんですよー。
でも本人は「頑張っている」なんて思っていないんです。
本当にやりたいことだから自然と身体が動いちゃうんです。
メジャーリーガーの大谷翔平やイチロー(古い?)が必死になって野球をしていたと思いますか?
他者に認められるために自分を否定して否定して頑張っていたと思いますか?
お二人のことをよく知っている方ならご存じですよね。
野球が好きだから夢中にバットを振っていた。
球を投げていた。
自分の中の理想に少しでも近づけるように常に頑張り続けてきた。
だからこそ頑張り続けることができたし、あれだけの偉業を成し遂げることができたんだと思います。
いつか潰れてしまう「“必死”に頑張る」という頑張り方をやめて、
エネルギーが湧き出てくる「“夢中”に頑張る」に切り替えていこう!!
そういう頑張りの方が素敵ですよね。
・・・。
↑
って、ちょっとキレイごと言っているように聞こえません?
ここからなんです。
僕がお伝えしたいことは。
上の話はこれまでもブログでお伝えしてきたことです。
でもこれだと説明が不十分だったから誤解を強めてしまっていたんです。
この続きは、今回は長くなったので話せそうにありません。
次回「延長戦」としてお話させていただきたいと思います。
イロハニトイロ所長
金村栄治