イロハニトイロ

vol.46-②【勘違い】あきらめていい(前編)

僕の本のタイトルにもなっている「あきらめてもいい」という言葉です。

僕の本のタイトルだけ見て、

「あきらめていいんだよね」

「何もしなくていいよね」

「仕事もしなくていい」

「全部全部あきらめていこう」

って半ば笑いにして語られる方がたくさんいらっしゃいます。

もちろんそんな風に面白おかしく親しみを込めてイジっていただけるのはありがたいことなんですが、

一方で「あきらめる」ことを馬鹿にするようなニュアンスを感じさせる人もいて、

「あ~~、この人たちは本当の意味を理解していないんだな~」と思うわけです。

僕の本を読んだのかもしれないけど「あきらめる」ことをちゃんと理解していないし、本の内容が伝わってないんだろうなって。

(これは僕の文章力の問題ではあるのですが、その人の強い固定観念が抵抗しているようにも感じています)

人はちゃんとあきらめられるから、あきらめなくなるんです。

これ?理解できているのかな?

まあ、その説明は次回させていただくとして、

どんなふうに誤解されやすいかを今日は話させていただきたいと思います。

「あきらめていい」と聞いて、

「じゃあ、死ねってこと? 堕落して生きろってこと?」

と誤解する方は僕の経験上非常に少ないです。

もちろんたまにいらっしゃるんですが、本当にごくたまにです。

どういうふうに誤解されるかというと、

多くの人が

「嫌なものは手放していきましょう」

「本当にやりたいことだけやっていきましょう」

と誤解されることが本当に多いんです。

こんな風に理解しているので、大きな心の抵抗に皆さん出会ってしまいます。

心がずっと抵抗をして、あきらめられずにいろんなものに執着しているんです。

そして「あきらめる」という言葉が自分を堕落させる悪魔の言葉のように思えてしまいます。

だから頭では「そうできるといいよね。それが理想だよね」と思いながら

心は抵抗し、行動に移せないでいるんです。

そして、ずっとあきらめられずにもがいています。

そしてあきらめられないから、最後には

「こんなに頑張っているのにどうしてなの!」

「やっぱり私がだめなんだ」

と人生をあきらめてしまうんです。

もう一度言います。

「あきらめられる」から「あきらめなくなる」んです。

ほら、もうこれって誤解生むしかないような話ですよね。

次回、本当の「あきらめていい」の言葉の意味をご説明させていただきます。

         イロハニトイロ所長

             金村栄治