vol.39-⑧ 「病気」で解き明かす!part3
- 2022年08月08日
- 所長の学び
前回の続きになります。
今回で、イロハニトイロを解き明かす試みも最後になります。
「病気」は本当に悪いものなのか?
「病気」はあなたを助けるためにやってきたものだとしたら?
「病気」を必要としない生き方ができるとしたら、病気はいなくなる?
そんなお話を前回までさせていただきました。
それでは、イロハニトイロではどんなことをしているのか?
「病気」で解き明かす、とはどういうことなのか?
それをお話しさせていただきたいと思います。
今からとってもおかしなこと言います。
とっても恥ずかしいことを言います。
きっととっても批判されること言います。
実は僕(金村)、、、
イロハの利用者さん達が何の病気なのか知らないんです。
エッ?
って思いますよね。
「支援者として失格だ!」と思われるかもしれません。
実は他のスタッフも、だいたい同じことを言います。
大きな誤解を避けるために、もう少し詳しくお話しさせてください。
もちろんイロハを利用されるときにその方の病名(診断名)は聞いています。
だから全く知らないのかと言えばそうではないです。
でもイロハで一緒に過ごしていると、すぐに病名の事を忘れてしまうんです。
どうしてかというと、メンバーの事を「○○病の人」と見ていないからです。
イロハの中で病気についての話題が出てこなくなるからです。
そうすると、いつの間にか病名の事をスタッフも忘れちゃうんですよね。
「病名なんでどうでもいい」なんて言ってしまうと語弊があるのですが、本当にどうでもよくなっていくんです。
(主治医が変わるたびに病名が変わるとか、昔と今とで病名が変わったとか、そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。 それだけ病名なんて曖昧だし、「あなた」という人を決定づけるものでは決してないのです。)
↑
こんなのを聞くと、
「そうそう!そのひとを“病気の人”と見るのではなく、ひとりの人間として尊重し、その個人の中に“○○病”という側面がある、って見方が大事だよね。支援者としての基本的な姿勢ですよね。」
なんて思われる方がいらっしゃるかもしれません。
いやいや、そんなカッコイイ感じともなんか違うんです。
「利用者さんを一人の人間として見るのが支援者の姿勢だ!」みたいな堅苦しさで、無理をしてやっている感じじゃないんです。
上手く表現できないんですが、
目の前の人は79億分の1の唯一無二の存在で、
唯一無二の人生を生きていて、
見える世界も感じ方も全てが唯一無二であって、
自分とは違う存在で、
それが当たり前なこと。
だから「その人」は「その人」。「私」は「私」。
みたいな感じです。
へ?何言ってんの?
ですよね。
はははは。
つまり、あなたと私の関係において「病気」を使う必要がない、ということです。
「病気だから、人と上手く喋れない」
ではなく、
「私は人と喋るのが苦手。」
でいいわけです。
「発達障害だから、こだわりが強く、人と上手くやれない」
ではなく、
「私は、自分なりのこだわりが強い人間なんです」
でいいわけです。
「私はHSP(過敏な人)だから、人の刺激に敏感で一緒にいるのがしんどい」
ではなく、
「私は、とても敏感で小さなことも気になって、人といると疲れる」
でいいわけです。
「病気の私」
ではなく、
「私」として語る。
「私」として生きる。
ということです。
もちろん、イロハに来た人のほとんどが最初は、
「私は、こんな病気(障害)があるから、○○できない」とおっしゃいます。
一生懸命、できない理由として病気を持ち出されます。(←なんか嫌な言い方ですみません)
ホラ!病気さんがちゃんと守ってくれているでしょ?
その方には病気がないと困るんです。
病気は、ちゃんとその人を守っているんです。
これ以上傷つかないために。
でもイロハではどうかというと、
「病気だから○○できない」と言われれば、
「はぁ、そうですか。それなら仕方がないですね。」と受け流されてしまいます。
それ以上何もしてくれないんです。
もちろんその思いはお聴きしますが、それ以上のことは何もされないんです。
それって当然ですよね。
だって、病気だから出来ないんですもん。
病気があるからできないんだから、仕方ないんです。
そっと見守るしかありません。
「しっかり病気に今の自分を守ってもらいましょうよ。それでいいです。」
ってイロハではなるんです。
(そんな今のあなたでOKということなので、突き放すとか、見捨てるとか、相手にしない
というのではありません。「それでいいですよ。悪くないですよ。」ってことです)
でもここがイロハの苦しいところなんですよね。
せっかく病気で自分を守っているのに、守っていると何もしてくれないんです。
本当に酷いところです。
じゃあ、イロハは何しているの?
ということですが、察しのいい方ならもうお気付きの事だと思います。
冒頭に述べた「誰が何の病気か知らない」「唯一無二の存在として見ている」
ということは、つまり
「あなた」として見ている、ということです。
「あなたがどう思っているのか?」
「あなたがどうしたいのか?」
「あなた」のことを教えて欲しいのです。
そしてスタッフ自身も、「支援者」としてではなく「私」として語り合います。
「私」と「私(あなた)」
として語り合う。
ここに病気を持ち出す必要ってないんです。
失敗したって責められないし、遅刻したって叱られない、
ああしろ、こうしろ、こうしないとあなたはダメだ、
とも言われない。
理想からの引き算で見られることがない。
病気を必要としない環境って、ありのままの私で語り合える場所ではないのかなと思っています。
そうすると、ある時から自分で病気を手放していかれます。
「○○障害の私」ではなく、
「私」になっていくんです。
多くの人が、病気や様々な事情を持ち出して本音を隠して生きています。
「本音」って何かというと“とっても弱い心”です。
「弱い心」って、実は“本当の私”です。
本当の私って、弱くてズルくてゲスくて情けないんです。
そんな本音(本当の私)を病気で覆い、自分でも見ないように覆い隠すのではなく、
しっかりと自分の弱さを認め、少し勇気を出して公開してみる。
そして、その「弱さ」で人と繋がっていく。
それがイロハニトイロという場所です。
いや、そんな場所でありたいと日々考えています。
ホモサピエンスが生き延び79億人まで増えたのは、弱かったからです。
弱さを認めたからです。
弱くて弱くて一人では生きていけない存在だったから、私たち人間は集団を作り、他者と協力するという生存戦略を選び、これまで生き延びてきたのです。
そして弱い存在であるが故に多くの発明をして、その弱さを補ってきました。
「弱さ」は私たちの生きるための“核”になっているものなのかもしれませんね。
というところでイロハニトイロの正体を解き明かす回はこれで終わりにしたいと思います。
いつも好き勝手長々と書いて申し訳ありません。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
次回は、今事業所で起こっている“とっても大きな出来事”を公開したいと思っています。
イロハニトイロ所長
金村栄治