vol.36-⑥ 能力評価主義が虐待を生む?
- 2022年01月06日
- 所長の学び
こんにちは。
イロハニトイロで所長をしている金村です。
虐待についてのお話しもやっと8分目までやってきました。
金村が考える虐待防止についての思いをこれまで少しずつ言語化するという挑戦をしてきました。
あくまで金村の中にずっとあったモヤモヤを改めて整理して、言語化しているだけですので、ここで書かれていることが正解ということはございません。
vol36は、ある一つのゴールに向かって書き進めています。
ご興味を持ってくださる方は、どうぞそのゴールまでお付き合いください。
前回は、みんなが同じ意見になる環境が実は虐待を生んでいくんじゃないか、というお話をさせていただきました。
そして今回は6個目の項目の
「上司が能力を評価する環境」
が虐待を生んでいく、ということについてお話しさせていただきたいと思います。
❻ 上司が能力を評価する環境
このタイトルだけ聞くと、
「そんなの当たり前じゃん」
「普通は能力を評価するもんだろう」
「能力を評価されるからそれに見合った働き方を求められて、報酬だって変わってくる」
「能力を評価しないなんて仕事上あり得ない」
と思いませんか?
仕事となると、その「能力」で人を評価しがちです。
どれだけ効率よく業務をこなせるかで判断しがちです。
(「効率よく」ってところが「効率の悪さを生んでいる」こともまたいつか話させてください。最近とてもそれに関する素敵なエピソードがあったので。)
でも能力を重視する環境は機能として組織にいるに過ぎません。
機能であればより良い機能がいいですし、代わりの機能はたくさんいます。
でもでも、一見効率が悪かったり失敗だらけだったり、ダメに見える人もその人がいることで、組織に貢献していると僕は思っています。
仕事遂行能力という視点だけでは測れない組織への貢献が実はあると思うんですよね。
それを見つけること、大切にすることが重要だと僕は思っています。
つまり
「能力」ではなく「存在」でその人を見ることが大切なんじゃないのかなと思うんです。
「能力」で見ると自然と程度が生まれてきますよね。
より高く、より早く、より強く、より良くみたいな。
でも「存在」で見ると個別性を感じられます。
その人と私は違う。 だからできることも周囲に与える影響も違う。
だから大切にできる。
自分のできないところをしてもらっている。
存在は全員が違い絶対的な存在だからこそ、どれもが大切であり重要なんだと僕は思うんですよね。
何言っているのか、ちょっと分かりづらいですよね。
実際の場面を例にしてみるとその意味が分かると思います。
仕事の経験年数が20年以上あるベテランの男性職員
と
10年目の女性職員
と
実習に来ている10代の学生
がいるとします。
施設利用者の女性Aさんは、明確な自分の課題を分かっていて、それをどうにかしたいと思っている方です。
だからベテランの男性職員に意見を求めにいきます。
そして、一緒に課題の解決に向かって頑張ります。
だから、Aさんにとってはベテラン職員がとっても有能な存在なんです。
かとおもいきや
世間話や愚痴は同性で年齢が近い女性職員にしに行くんです。
実はAさんにとっては、その女性職員との関わりが心を安定させるための大切なものなんです。
そして若くて無知な学生には、人生の先輩としていろんなことを教えてあげます。
誰かの役に立つという経験を学生さんを通して得て、有能感を感じることができたのです。
もうひとつ例を。
年配の男性利用者のBさん。
自分より年下の男性のベテラン職員に何か言われると腹が立ちます。
その意見が的をえていて、正しければ正しいほど腹が立つ。
だから相談事は大抵は女性職員にしています。
そして若い学生に対しては、自分の子供と重ねて優しくあれこれ教えてあげます。
学生との関わりが大きな心の癒しになっています。
これって、どの職員(学生)の能力が高いんでしょうか?
そうです!
比べることって出来ないんです。
もしかすると学生さんが一番利用者さんに貢献していて、ベテラン職員の方が有害なのかもしれません。
見方や立場、環境によって変わってくるんです。
「上司が能力を評価する環境」って、結局は上司の価値観が視点となっていると思いませんか?
上司は自分が経験も知識もあり有能だと思い込んでいます。
ここが大きな間違いだと僕は思うんですよね!
そんなことないわーーーーーーい!
っていうか、そうであってはいけないと僕は強く思うんです。
ココこそが最も有害であり、虐待に至る根本だと僕は思っているんです。
(親が正しくて子供が間違っている。支援者が正しくて患者が間違っている。も同じですね、きっと。)
上司がポンコツで、部下(部下と言うのも変ですが)が有能くらいがいい!
つまり、話をまとめると、
能力を評価する環境は自然と競争意識が生まれます。
それがこれまでに紹介した❶~❺の環境を生んでいくんだと僕は思うんです。
自分の評価を下げたくない。
出来る奴、役立つ奴と思われたい。(←以前の僕が思っていた事です。これらの考えが僕を苦しめていた原因でした)
そんな思いが、心にストレスを与え、
同僚を心の底では競うべき敵とし、
それが能力主義に走らせ、
上手くいかない現状への焦りから、良いことだけを見せて都合の悪いことは隠すという行動が生まれたり、
責任逃れの言い訳をたくさんしたり、
挙句にはストレスのはけ口として無自覚に自分より弱い立場と考える人を虐待してしまう。
良い点数を採るためのカンニングをしてしまうのと似ているかもしれません。
能力を評価する環境が、心優しい素晴らしいスタッフを、気付かぬ間に人を傷付ける人に変貌させていくんだと思います。
「能力」ではなく「存在」で見るから、
自分がこの組織にどのように貢献できるか、
今の自分でどんな支援ができるか、
を考えられるようになるんだと僕は思っています。
あ、そうそう!
「存在」でちゃんと認められる環境は自然と個々がその能力を高めていきます。
これが元来人間に備わっている「優越性の追求」という欲求です。
今回も長くなってきたので、この辺で終わりたいと思います。
次回は、この話のゴールに行きつくまでに避けて通れない金村が実際にしてきた虐待とその時の気持ちについてお話しさせていただければと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治