許し合えるということ
- 2025年12月04日
- スタッフの学び

イロハニトイロの大江です。
ポンコツな私は、度々いろいろな場面でやらかすことが多いのですが
最近もたくさんのミスをしておりまして、、、
取引先に請求する代金が間違っていたり
取引先に渡すはずの領収書を忘れたり
コインパーキングで精算を忘れて発車したり
野菜の売り上げをデッキに置いたまま放置したり
外部の会議で2連続でボールペンを忘れたり
そんなポンコツな私を
メンバーさんもスタッフもみんな許してくれるんです。
「おもしろいわぁー」
「楽しいわぁ」
「気づいてよかったー」
「安心するわぁ」
「こうやってスタッフが失敗してくれるから自分たちも挑戦ができる」
そんなことを言ってくださいます。
先日は取引先の担当者さんも私のやらかしに対し
「全然いいですよー」
「また何かあれば相談してください」
なんてスマートに言ってくださいました。
どんだけ優しいのよ〜
気前良すぎなのよ〜
そんなことを考えながら、感謝の気持ちが心の中にぶわっと広がる感覚がありました。
本当にいつも皆さん迷惑をかけてごめんなさい。
そしてそしてそんな大江を責めることなく
許し認めてくれてありがとうございます。
だから私も他者を許し認められる自分でいたいなぁと日々思っています。
、、、というのは嘘ではないのですが
まだまだ私の心は抵抗している所があって。
優しさを100%そのまま受け取れなくて
心のどこかで「ごめんなさい」という申し訳なさが常にあってしまいます。
相手は「いいよ」と言ってくれているのに。
許してくれているのに。
どこかで自分で自分を責めている。
そんなこと相手はきっと望んでいないのに。
上手く言えないのですが
責められている方が楽なんじゃないかなぁと思うんです。
「なんでこんなことしたんだ!!」
って言われて責められて不幸でいる方が楽と思っている自分がいると思うんです。
自分は不幸だと思っている方が、
何か本当に不幸が自分の身に起きた時に
抵抗感が少ないんだと思うんです。
自分が幸福な状態にいてしまうと
不幸との落差が大き過ぎて受け止めきれないんじないかと考えてしまう、、、
だから人から許し認められ
自分も自分を許し認められ
それは私にとってやはり容易なことではないなぁと感じています。
自分で自分を守るためにあまり意識せず培ってきた
クセみたいなものなんですかね。
自分に厳しくして
人に迷惑をかけないようにして
そんな所が自分の中にはまだまだあって。
それがちょっと厄介だなぁと思うのは
自分に厳しいということは
無意識のうちに相手にもそれを求めているのではと思うんです。
自分の感覚や価値観で相手も見ちゃう。。。
やだやだ〜
今こうやって許し合えるということについてブログを書いているはずなのに
自分も相手も責めちゃう内容につながるなんて。
やっぱり気持ちがいいと思うのは
自分も相手も許し合えることだと思うなぁ。。。
まだまだ訓練中ですね。
今後ともポンコツでやらかしてしまう大江を宜しくお願いします。
イロハニトイロ
大江 裕美
