イロハニトイロ

メンバーブログ(No.1) ~イロハニトイロの畑ハーブができるまで~ 

●「効かなかった」ハーブティー

 仕事と育児に追われ、心を病みはじめた時、ぼろぼろになっていくわたしを見かねた周囲の人に「もっと自分を大切にしなさい」と言われました。よく目にする「自分を大切にしましょう」。でもそれって、誰が何をどうしたら、「自分を大切にする」ってことになるんでしょう? 当時のわたしにはわかりませんでした。だって、仕事は休めないし、ママを代わってくれる人はいないし。これ以上なにをどう頑張ればいいの。わたしはうつ病、アルコール依存、摂食障害、自殺未遂を引き起こし、仕事や人間関係に支障をきたして、そんな自分を許せなくて、三十歳で死のうと決めてしまいました。 

 ハーブティーに出会ったのは、そんな嵐の最中でした。どんな安定剤や向精神薬をもらっても、私の思うようには治らなかったのです。薬で治らないなら、他に治してくれそうなものをかたっぱしから試してみようと、ハーブティーの他に、健康食品やサプリメントを摂取しました。わらにもすがる思いで飲みはじめたのに、ハーブティーは効きませんでした。結局わたしは仕事を失い、子供を親族に預け、精神病院に入院することになりました。「ふつう」で「まとも」な人生をドロップアウトしてしまった、という気持ちでした。 



● 夜明けの体験

 三十歳で死にぞこない、社会人でもなくなり、母親としても失格してしまったわたしは、障碍者として第二の人生を歩むことになりました。いつか「まとも」な大人として一般就労に戻ることを目標に、寝たきりで引きこもりだった体と心をひきずって就労継続支援B型事業所イロハニトイロに通いました。 

 イロハニトイロは自由です。仕事をするしないを自分で決めていいし、ノルマもない。しんどかったら休んでいいし、おしゃべりしてたっていい。真実身を粉にして働いてきたわたしは戸惑いました。気の狂わんばかりに努力をして、他人に評価されることを仕事だと信じていたので、自分のペースでしていい仕事なんて、遊びみたいですごく不安でした。

 しかし、とにかく行ってみんなと関わっていくうちに、「弱くてもだめでも、そのままの自分でいいんだよ」という言葉をくり返しくり返し聞いているうちに、自分がどれだけ頑なで、小さな価値観の中で生きてきたか、じわじわと理解しはじめました。わたしは誰かのために働いているつもりで、いつも誰かのせいにして生きていました。他人が決めた「かくあるべき」わたしからはみ出すことを許せずに、ありのままのわたしを無視してきました。

 そして思いました。わたしはもう十分だめな自分を罰したから、いい加減許してあげてもいいんじゃないか、と。別に他人や社会の役に立たなくたって、生きていていいじゃないか、と。これに気づくと、昨日と同じ自分で、昨日と同じ景色なのに、世界が美しく見えます。こういう生まれ直したような気持ちを、わたしは「夜明け」と呼んでいます。再生の鍵を、ドロップアウトしたと思った先でわたしは見つけたのです。



● ハーブティーが「効く」ということ

 わたしが思い描いていた「治る」ということは、「絶望的に人手が足らず終わらない仕事をこなしながら育児家事を完璧に行い、しかもストレスを感じず体調やメンタルを崩さない」状態でした。今思えばありえないですね。そういう状態になれる薬なんてありませんから、「効く」わけもない。ハーブティーだって当然効かない。

 本音を分析すれば、わたしは治りたくなかったのです。嵐のようなストレスの渦中に戻りたくなかった。でも、病気を言い訳にしなければ、わたしはわたしに休むことを許せませんでした。診断書は、会社にではなく、わたし自身に一番必要なものだったのです。だから、頭でっかちで自分の意志では休めないわたしを守るために、病気はやってきてくれたわけです。

 訪問看護のサポートが入り、飲酒をやめ、食事を見直し、体にいいものを摂るようになると、少しずつ心と体が回復してくるのを実感しました。自分を許し、自分に優しくすることに努めるようになって、わたしの体はようやく病気を手放し、「治る」ことを受け入れはじめたのです。ハーブティーが「効く」と思えるようになったのは、その頃からでした。温かい一杯のお茶を、自分のためにゆっくりと淹れる。自分を大切にするって、たったこれだけでよかったのです。でも、冷たいアルコールに溺れ、胃腸を壊してろくに食べず、そうやって自分を粗末にすることで「こんなに頑張っているわたし」を認めてもらいたかったわたしは、思いつきもしませんでした。

 今は、体の声に耳を傾け、これはいいな、これは嫌だな、と感じるものを選びます。いいなと感じるものを摂取し続けると調子は整い、嫌だなと感じるものを摂取し続けると調子は崩れます。わたしはイロハニトイロの、生き生きとした野菜を食べると、効いてるなあ、と感じます。これも自分を大切にする具体的な方法のひとつだと思います。



● わたしがハーブを選んだわけ

 イロハニトイロは無肥料無農薬野菜の栽培に取り組んでおり、日に当たって無心で体を動かし、土や虫、植物と向き合うのはとても素敵な仕事でした。でも、天候など些細なことで調子を崩しやすく、いまだに半分引きこもりのわたしには、繊細な野菜の相手は少し荷が重いように思えました。もう無理をしてひどい目に合うのはごめんなので、休みたい時に休める仕事がいい。そんなわたしにばちっと合ったのが、ハーブの栽培でした。ガーデンや畑でほったらかしにされているわりに、ぼうぼうと葉を茂らせ、花を咲かせているハーブたち。野草に近いハーブのたくましさ。自立が苦手で依存しがちなわたしは、その頼りがいに惹かれました。

 わたしは自己肯定感が低く、「わたしなんていないほうがいい」と思いながら、「わたしじゃないとだめ」と思ってもらえる仕事にしがみつきました。共依存です。「わたしはいなくてもいい」けど、「いてもいい」。植物を見ているとそれをひしひしと感じます。求められるから存在するのではなく、ただいるからいる。草を引き、土をいじりながら、ハーブに教えてもらった生き方です。 

 もちろんずっとほったらかしなわけではありません。温室で手塩にかけているハーブ農家さんにはなめるなと怒られてしまうかもしれません。種まきや苗作りには手をかけましたし、草刈りはいたちごっこの重労働でした。しかし、炎天下にも負けず、虫にも食われず、レモングラスは見事に巨大化しました。こぼれ種からカモミールやコリアンダーは芽を出しました。植物は生き残れるものがちゃんと生き残って、人に恩恵を分けてくれます。商品を得ようとせず、そこにあるものから恵みを受ければ、失敗はありません。わたしがいなくても彼ら自身の生命力で勝手に生きる。そんなワイルドでタフなハーブの生き様を、わたしはかっこいいと思うのです。 



● わたしにもあなたにも世界にも優しく

 イロハニトイロのハーブは自然栽培で野性味が強く、比叡山と琵琶湖の雨や風にもろに当たっています。名産地と言われる土地で栽培されているハーブと比べると、品質は劣るかもしれません。しかし、価値をどこに見出すかは人それぞれだと思います。イロハニトイロのハーブは、ありのままのハーブです。半分引きこもりのわたしが無理をせずに育て、雑草や虫に頼り、機械を使わず自然乾燥で、ハーブが好きなスタッフがハーブを楽しみながら加工しています。手や足の届くところで、お客さんの顔を見て販売しています。よけいなエネルギーが一切かかっていない分、環境にもとても優しいです。無理やりがんばらず、自分に優しくした結果、みんなに優しいハーブが商品になりました。 

 わたしがハーブからもらった自分を大切にする具体的な方法のひとつを、あなたにも分けてあげることができたら、こんなに嬉しいことはないです。 



                      2020年11月11日 
                           メンバー M