イロハニトイロ

イロハ入職1年経って…

美濃部です!

イロハに入職してもう一年経ちます。あっという間です。つい昨日まで大学の学位式いたような気がします。

最近よく敏感に反応してしまう言葉が沢山あります。それこそ学生時代、気にも留めていなかったのに。

例に挙げるなら“常識、普通、傷付いた、愛…”とか

あとは似ているようで意味合いが違う言葉もよく反応します。

“信用・信頼”とか“期待・信じる”とか。ちゃんと本質を理解していたのだろうか?と。

でもその中でも、僕はやっぱり普通とか常識という言葉はとても危険だと思っています。

その言葉を使ってしまった時点でその発言の責任は発言者ではなくなるのではないか?

その普通はあなたの世界での普通ではないのか?

その責任がないが故に生まれる圧力は相手を否定していないだろうか?

と沢山の疑問が生まれます。

それと今から言うことは批判が殺到してしまうかもしれませんが、、、

僕の好きな歌手(Aimerさん)のファン同士での飲み会やオフ会で僕を馬鹿にして場を盛り上げようとする人が居たんです。周りの人たちは楽しがっていましたが、僕はどこかしらその空間に違和感を感じていました。

「馬鹿にされて笑われるのが嫌じゃないけど、何かひっかかる」ってずっと考えていました。

そもそもそれって本当の幸せになることなのかと

人を馬鹿にすることで得られる幸福はその馬鹿にする対象がいないと成立しないし、他者との比較と劣等感を助長するのではないか?

でも日々のありがとうの交わし合いや、自分が成長したことで得られた喜びは誰との比較も必要がないのでは?

ここの場でそれが良い悪いとか、その人がどうだとか言うつもりはないです。

なんなら自分も場を盛り上げる為に自虐ネタを使ったり、中にはイジられるのが好きって人もいます。

ただ、どちらが本当の豊かさなのだろう。って疑問に思うんです。

そしていま綴っていてそもそも豊かさってなに?ってまた疑問が疑問を呼びます。

イロハに入職して1年経った今、半年前に抱いていた悩みが可愛く思えるときがあります。

自分って必要とされてないんじゃないか…作業療法士を名乗って良いのか…とか!

自分って必要とされていないと思っていたのを最近は

「金村さん、猪飼さん、ゆうなさん、ひろみさん、利用者さんから必要とされていると思っとこ!!愛されてると思っとこ!!確証はないけど…(笑)」

って思うようになってからそんなネガティブな思い込みは気づけば無くなっていました。

でもたまーに思ったりします。

2個目の悩みはまた次回にでも話させてください。

つまり「捉え方次第で幸せにも不幸にもなる」

最近勉強した「思考は現実化する」にめちゃくちゃ通ずるなと思って過ごしています。

今、これらを書き出していて1年で、しかも20代でこんなにも刺激的な時間を過ごせていたのかと思うと、

この先5年後、10年後の僕の未来はどうなっているんだろうってワクワクしてきます。

次回は勉強中の作業療法のことや自己欺瞞とか相対的剥奪の個人的なお話でも綴らせてもらえたらな。と思っています。

イロハ2年目の美濃部もどうぞこれからもよろしくお願いします。

ちなみにWRXに悲願の大型リヤスポイラー(ウイング)を取り付けました。

イロハニトイロ 美濃部 椋