だんだん楽しくなってきた!⑦
- 2022年04月28日
- スタッフの学び
生活支援員の大江です。
このところ
「楽しいなぁー」
「おもろいなぁー」
と思うことが増えてきたので、
かたちに残るものとして置いておこうと思い、
今この文章を書いています。
これまで過ごしてきた20数年間、
楽しかったこともありましたがしんどいことも多くて。
他の人のことをうらやましく思ってばかり。
特に小学生になってからは他の子と自分を比べてばかりでした。
「あの子のお母さん若くてうらやましいなー」
「親から誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントもらいたいなー」
「夜中に一人でトイレ行くの怖いよー」
「おもちゃがいっぱいある家に生まれたかった」
「一度でいいから家族旅行というものに行ってみたいなー」
「学校から帰ってきたらおやつが書いてあるお手紙があったらいいな」
「お父さんは私のこと好きじゃないのかな」
「お兄ちゃんさえいれば私はいらないのかな」
「もっとフットワークの軽いお母さんがよかった」
最近は高齢での結婚や出産はよく聞く話ですが、
私の両親が結婚した当時は周囲に比べ遅めの結婚。
これが九州男児というのか、
亭主関白気味でめんどくさがりやで
愛情表現がとってもわかりづらい父親と、
生まれつき持病を持った身体の弱い
自己犠牲の塊みたいな母親。
そしてそしてとっても優しくて、
ちょいちょい倒れる病弱気味な兄。
男かな?と思うくらい豪快で強気なばあちゃん。
なぜかずっと一緒に住んでる精神疾患のある叔父。
そんな家族に生まれた、
頑固でわがままでいたって健康な私。
小学校にあがるまでは、
無知でわんぱくで好奇心旺盛な子供だったはずなんですけどね。
お兄ちゃんといつも一緒に遊んでいたから、
女の子の遊びなんて知らないし。
木に登るか川で泳いで魚とるか、
お兄ちゃん考案の
二人でやるバージョンのサッカー、野球。
あ、バスケもお兄ちゃんに教えてもらったなー。
服も靴もお兄ちゃんのおさがり。
髪も短いので
よく男の子と間違えられていました。
お兄ちゃんと並んで立ちションしたり。
でも別に嫌だったわけではなくて、
たぶん単純に楽しかったんだと思います。
でも女の子だから可愛いものとかキラキラしたものとか
ぬいぐるみとかお人形とか、
そういったものに興味があったけど
あまりそういうものを買ってもらえる家ではなかったので
常にあこがれていた気がします。
家族の話はまた別の機会に、、、
この前イロハの卒業生と話していて、
確かにそうかも!と思ったのですが
小学生になって義務教育が始まってから、
こう、なんでしょう、
「こうあるべき」
みたいなものが叩き込まれて、
私のなかにあったわんぱくな部分が
抑え込まれてしまったというか。
勝手に周囲と自分のちがいを見つけ始めたといいますか。
頼まれたら断れない性格もここで出来上がったような気がします。
児童会役員までやってたし。全然キャラじゃないのに。
自分が周囲とちょっと違っているとわかると
途端に怖くなって。
しゃべれなくなって。
できるだけ周囲と合わせようとし始めて
浮かないように、
目立たないように、
嫌われないように。
ん-、小学校の時はあまり友達いなかったな。
よくある女子のグループ分け。
どこのグループにも属せなくて
よく一人で図書館で本読んでたなー。
存在感がなかったのか、
よくぶつかられたりびっくりされたりしていました。
あ、これは今でもあるかな?
中学生になってすぐ
「ひろみ喋れない子かと思ってたー」
と言われ、、、
あれは衝撃でしたね。
どんだけ私人と関わるのが怖くて喋ってなかったんだろー、
どんだけ人からどう思われてるか気にしてるんだろー。
これまた全然キャラじゃないのに中学では体育副委員長やってたなー。
せめてもうちょい目立たないやつやりたかったー。
ガンガン前でなあかんやつやんー。
辛かったー。
一人がよくて、
一人でいる方が楽で。
同級生が誰も行かない県外の高校に飛び込みまして。
一人でいる方が楽、
と思っていたけどただ単純に
今ある環境から逃げたかっただけだったのかもしれないです。
寮生活のこと、
勉強のこと、
実習のことめちゃめちゃ期待され。
その期待に「ちゃんと答えないと!」
と勝手に思い。
これまた全然キャラじゃないのに、副寮長やったわぁー。
なんか思い出しておもろなってきました。
社会人になってさらに磨きがかかり
超絶スーパー人見知りの関わる人に壁つくりまくり人間の完成!!
いぇーーーーーーーーい!!
あかんあかん、
イロハのブログなのに。
個人的なことを書いてもうてる。
所長に怒られるわ~~~。
そんな壁つくりまくり人間の大江(かなり端折りました)を
ほぐしてくださったのが
イロハニトイロという場所でした。
(超無理やり、、、)
最初はガチガチで
「大丈夫?」
「何かある?」
と聞かれても
(え?大丈夫って何が?何が大丈夫なの?何かあるって何?聞かれてもありすぎて何をどのようにどこから話せばいいのかわからんし、え、どうしよう、やばいやばい、早く答えないと、早く返事しないと)
結果、
「、、、大丈夫です」
っておーい!
大丈夫ちゃうやーん!
何言うとんねーん!
はい、一人反省会のスタート。
んー懐かしい。
振り返ると懐かしく感じます。
今はどうなのかというと
大丈夫じゃないのに「大丈夫」と答えることが完全になくなった
という訳ではなく
何が変わったかというと
「大丈夫じゃないのに大丈夫と答えてしまう自分がいる」
ということを
自分でしっかり認められるようになって
それを相手に伝えられるようになったんです。
そしてそして、
それができるようになると
大丈夫じゃない時に「大丈夫じゃないです!」と
はっきり言えるようになったんです。
これはやっぱりイロハニトイロという場所での
メンバーさんやスタッフの関わりがかなり大きくて。
私に一歩踏み出す勇気をくれたというか
踏み出してみて失敗してもなんとかなる、
と思える場所を与えてくれたというか。
以前のブログでも書きましたが
皆さんが本当にいろんなことを話してくださるんですよね。
時には涙を流しながら。
そうしたら私も自然に
「話してみようかなー」
「やってみようかなー」
と思えるようになってきまして。
そうしたら今までびくびくしていたことも
「まぁなんとかなるか」
と思えるようになってきまして。
今までだったら
「相手を怒らせないように傷つけないように」
と思っていたけれど
今は
「もし自分の言動で相手を怒らせたり傷つけたりすることがあればその時は謝ろう」
と思えるようになりました。
良いことだけを言い合う関係ではなく
心に抱えているもやもやも言い合えるような
関係になりたいと思えるようになりました。
「大江の態度にもやもやした」
と相手も言ってくれて
私も「嫌だな、不快だな」と思ったことは
メンバーやスタッフ関係なく言えるようになってきました。
まだまだ始めたばかりですけどね。
少しずつですね。
そんな関係性でいてくださる皆さんに本当に感謝です。
これからもきっと、
たくさん皆さんを怒らせてしまったり
困らせてしまったりすると思いますが、
しっかりその時のお互いの気持ちを
言い合える関係でありたいと思っています。
そのような経験が増えてくると何かトラブルが起こっても
「なんとかなる」
と思えるようになったり
「めっちゃおもろいやん」
と思えるようになったり。
会話の中でも
「これ今ここで言うことちゃうやろなー」
「ちょっと反対の意見なんやけどなー」など
空気読めない発言とか、
意味わからん返答とかをしてしまってもいいか!
と思えるようになってきました。
そうすると少しずつ目の前のことが楽しくなってきて。
「なんか私人生楽しんでるー!!」
という感覚が増えてくるんですよね。
そんなことを考えていたら
最近、生まれた時の
幼少期のわんぱくな自分が取り戻されたように
やりたいことがたくさんでてきました。
本当はそのことをブログに書こうと思っていたのですが
その前段階ばかりをたらたらと書いてしまいました。
まぁいいか。
それは、前からやりたかったけど
何かしら理由をつけて実行していなかったことや
新たにやってみてもいいかもと思ったこと、
実際に最近やってみたことです。
今この年になって、
本来持っていたわんぱくな自分を取り戻しているんだと思います。
今回は長くなってしまったので
またそのことについては次回お話できればと思います。
イロハニトイロ 大江裕美